考える虫のつぶやき

こうやって生きたらいいのに を探して、物の見方、考え方について、あれこれと思うままに書いています。なぜか夜中ばかりの投稿ですが…

仕事の向き合い方...常に最終ゴールだけを意識する...無駄な業務は減らせるかも?

今回は、僕自身の仕事に対するざっくりとした話です^^

こんな話をしようと思ったのは、職場での仕事が迷走してるなぁ...と、最近特に感じるから...だったりします...orz

これって、恐らく僕の職場だけでなく、結構色んなところで起こってる気がします...この前も知人から、とてつもなくでかいプロジェクトが上手くいかなかった話を聞きました...、組織が巨大であろうが小さかろうが根本の原因は似たり寄ったり...ってことだけは間違いなさそうです。

これについて書くと面倒ですが、解決のひとつは、役人のジョブローテーションは少なくとも5年にする...でしょうか...(^^;)

さて、話を本題の仕事の向き合い方に戻すと...


個人的に...仕事で大事にしているのは、

「今の仕事は何のためにあるのか」...ただそれだけです^^...なので、

その目標(結果)にできるだけ真っ直ぐ進む...それだけを考えながら、1つ1つの業務をやっています...、なので、ほかはややいい加減なことが多かったりもします(^^;)

組織の中で仕事をしてると、何故か...
その仕事に関わる1つ1つ業務が適切であるかを調べる...だったり、そのために必要な基準や手順の決まりを作る...だったり、ときには、外部の評価を受けるような仕組みを導入する...などなど...、
とにもかくにも、その仕事のゴールから遠ざかるような色んな手続きがあって...、それに加えて...えっ!、さらに...と、新たな手続きが作られることも...まぁまぁあります...orz

気づくと、それらいくつもの手続きに追われて仕事をしてる...ってのは日常茶飯事...(^^;)

そんな状況で良くないのは...いつのまにか、

その1つ1つの手続きを満足することが目的になってしまって...、その仕事本来の存在理由である「○○のため(ゴール)」から逸れちゃって...結果的に、微妙なものになってしまっている...(^^;)

なんてことが、それなりにあるってことです...トホホ

その弊害の一つが、そんなどうでもいい煩雑な手続き的業務のせいで、本来の業務が形骸化しちゃってること...じゃないかなぁ...

こういう例もついこの間ありました...(^^;)

ある仕事で、○○の強化が必要なので、△△をやることになりました....的な話がありました...orz、でも...

その仕事には、すでに○○に必要ないくつかの業務があって、それだけでも結構大変...、そのせいで業務もやや形骸化しちゃってる...、僕もその中の1業務は数もそれなりで面倒に感じてるのですが、やってると...、
「これは○○で役に立つじゃん」と思えることもあったので、あまり手を抜かず、まあまあちゃんとやってました^^

なので...△△の話が来たとき...

新たに△△なんかやらなくても、ほぼ同じことは、あれと...これと...こんな感じで、すでにやってるんですが...と、説明して...△△はうやむやになりつつあります...orz

ほかにも、◇◇を...って話もありましたが、これも上に書いた1業務でやれてる内容で、△△と同じようなうやむやな状況になりつつあります^^

結局のところ...

最終的なゴールに向かって進んでいれば、余計なことって回避できる...それは結構あります...

大事なことは、「何のために」...ただそれだけを忘れない...じゃないのかな

それがしっかりしてると、色んな必要なモノを繋げられてる...気がします。

これは、仕事に限らず、勉強もそうだったり...かな(^^)

 

先日、これから社会人になる若い人たちと話をした際に、これと似たような話で、

「これから色んな仕事をしていく中で、これは...ん? って思うようなことが結構あって、右に行ったり左に行ったりってことがある...と思うけど、まずは、その仕事の最終的な目標を考えて真っ直ぐ進む...それを考えてみてください...」的な話をしました。

で...

昨日の夕方、娘と本屋にいくと、まんま「まっすぐ考える」って表紙に書かれた本があって、笑ってしまいました...

みんなお困りごとは一緒なのかもしれないなぁ^^

 

神大サークルや若者の飲食店の迷惑行為,若手議員の乱痴気会合...大人になりきれてない...?

いろいろとバタバタと忙しく、このブログも少し間が空いてしまってます...orz

その間に、若手議員の破廉恥なパーティーやら、神大サークルでのあり得ない迷惑行為、そして、未だになくならない飲食店での迷惑行為...

なんとも、ガッカリでしかなく、そんなニュースを見聞きしてしまうのって、時間がもったいないなぁ...と感じてます...orz

でも、そんなニュースから思ったことを少し...(^^;)

普段、若い世代の人たちに関わることが多いのですが、そこで感じるのは...

彼らには性格面で、ある二極化が存在してる...かなぁ?...ってことです。
(二極化的な議論はあまり良いことではないと思いつつ...)

一方は、やや大人しく素直で真面目
もう一方は、大人しそうだけどはっちゃけたがり...(上のニュースになってる人たちのタイプ)

そんな感じのタイプが増えたんじゃないのかなぁ...と、ただ...どちらにも共通して感じるのは、

「大人になりきれてないかなぁ」...ってことです。

これは彼らのせいではなく、彼らの育った過程で、社会的に大人になるための環境や機会が少なかったからかなぁ...と考えてます。

今までも同じような話を何度か書いてるのですが...、

今、子どもたちが育つ環境 って...
核家族で、しかも共働きが多くて、家族内でも人との関わりが少なく、親戚付き合いや、近所付き合いは当然ほとんどない...、なので、人や社会との関わり方も知る機会がかなり少ない...

あとの頼みは学校 なのですが、これも、教員の多忙化や、なり手不足の問題から、子どもたちとの関わりも授業が精一杯...で、子ども同士、子どもと先生との関わりも微妙なままで終わってしまう...orz

...だったりするので、なかなか、社会的に大人なるのって簡単じゃない...たぶん(^^;)、裏を返せば...、

社会的に大人になるのも、ちゃんと面倒を見る...といった教育が必要...なんだなぁ...と。

学力的には、団塊ジュニア世代以降だと、勉強(受験)もノウハウ化が進んじゃって、高学歴にはなれちゃうんだけど、社会的な大人はそうはいかない...ってことっぽい。

ここ最近の若い世代の人たちが起こす問題行為について考えてみて、改めて気づかされました...orz、そして、

本来は、社会的な大人の素養を身につけて、その上で、学力を身につける...じゃないとまずい...ってこともハッキリしてそうなので...

子育て...つまり、子どもを取り巻く環境をどう良くしていくか...これって、今、しっかり考えなくちゃならない喫緊な課題なのは間違いない...ですね^^

あと...

成人年齢を18歳に引き下げちゃったけれど、これって先に子育ての問題を解決してからじゃないとまずいんじゃないのかなぁ...?、今のままじゃ...被選挙権の年齢引き下げは、なおさらダメだと思う。

 

アラレちゃん、ドラゴンボール...鳥山先生 ありがとうございました...子どもも絵を描くが好きになった^^

昨日の夕方、帰宅中の車のラジオで、この訃報を知りました...

ラジオでアラレちゃん、ドラゴンボールのキーワードが出てきてて、珍しいなぁ...って、で、ふと...ひょっとすると何かあったんじゃ...?、と思ったら、鳥山先生の訃報の話題でした...orz

小学校では、アラレちゃん、中学校ぐらいから大学にかけてドラゴンボール...

僕はあまり漫画を買わなかった(買えなかった...?)ので、もっぱらテレビで楽しんでました。
特にドラゴンボール...大学生のころフリーザ、セル、魔神ブウの頃でストーリーも面白く、大学生であることを考えると、年齢的にちょっと恥ずかしかったりするのですが、よくノートにキャラクターを描いてました...(^^;)

それまでは、描くにしても、自動車や鉄道...アニメ系でもメカ的なものばかりでしたが、ドラゴンボールは何故か...あんなキャラを描きたい...という衝動に駆られて、結構人物を描きました^^

絵を描くのは小学生のときから好きで、いつも描いてたんですが、当時は乗り物大好き少年だったので、それ関係ばかり...で、人物はお世辞にも上手くなかったです(^^;)、しかも...、
クラスの仲のいい友だちがアニメキャラをとても上手に描いていて、これは全然違う...自分はこういう絵は向いてないんだぁ...、そんな風に思ってしまって、そのときから人物描きは避けていた気がします...orz

そうだったのですが、ドラゴンボールは描きたいっ!...って気持ちになったので、ストーリーも楽しかったですが、鳥山先生の絵には何とも言えない凄く惹かれるものがあったんだと思います。

大学生になって随分と描き込みました...お陰さまで、人物もそれなりに上手く描けるようになりました(^^)/
ちょっとした暇でも(講義中とかも...orz)絵を描いて、ドラゴンボールに留まらず、それ以外のキャラクターや、色んなポーズの絵に挑戦したり...と、このときに、描ける絵の幅もかなり広がった気がします^^

学生時代に描いたDBなんかの絵たち

さらに良かったのは、子育てでも絵を描くのが大活躍だったこと...(これは現在進行形かな?)

上の子も、下の娘も、絵に興味がでてきたときに、一緒になって描いたり、ちょっとしたアドバイスができたり...、そういうことができたので、2人ともちゃんと続けられて、今では、ちょっとしたときにも絵を描いて楽しむ...そんな過ごし方ができています^^、
何より、同じ「絵を描く」っていう共通の好き...があるのはいいものです...(^^)

これも、あのときドラゴンボールの絵を描きたいと強く感じたから...、だから、鳥山先生には本当に感謝です

 

昨日の晩ご飯時は、下の娘と二人、鳥山先生の訃報が一番の話題で、残念な思いの中、ドラゴンボールの話なんかをしながら過ごしました。

また向こうの世界でも、悟空のように界王様たちと一緒に楽しまれている...そうあることを心から祈っています。

本当にありがとうございました。

 

本当の少子化対策~子ども時代を楽しかったって思えること...(以前の書き直し)

これは1年ほど前に書いた少子化のブログを先日のニュースをみて、ちょこっと書き直した記事なので、それでも興味があれば読んでみてください(^^;)

先日、出生数が過去最少になったのを受けて、首相が急激な人口減少に歯止めをかけないと経済、社会システムの維持が難しくなる...と語り、それに対して、若い世代の所得向上のために経済の好循環を...的なことを言っていたらしい。でも...

今から親世代になるかもしれない若い人たち...彼らの意見として出てくるのは、「子育ては大変だ」…なんだけど、その理由で、最も多いのは経済的な理由、そのほか、仕事との両立が難しい、などなど。

でも、それって、根本的な原因は違う…んじゃないかなぁ...と思っています。

先に書いた理由を解決したところで、じゃあ子どもを...となるか...といえば、きっと、そうはならないと思う。いろんなニュースをみてると婚姻数も減少しそう...

実際のところ、
子どもを持ちたい!!...そう思う 若い人って多くない んだと思う。

そう考えると...本当の「少子化対策って、

「本当に子どもが好き」「子どもを育てで、子どもと一緒に楽しく過ごしたい」... そんな思いを強く抱く、若い人たち が増えること。

どんなに経済的な問題を解決したところで、そもそも、子どもを持ちたいと切望していないのなら…自分たちのために使おうって思っちゃうんじゃないのかなぁ...?

今問題なのは、若い人の多くが、さほど子どもを欲しいとは思っていない…、それなのに、子育ては大変だぁ...とても苦労する…って話題ばかり…、当然、状況は悪くなってしまう...orz

大切なのは、子どもを持ちたい、育てたい…若い人たちがそう思うようになるには?...
そういう視点で、解決方法を考えなくちゃいけないんだと思う。そして、いま何故、強く「子どもを持ちたい」と望まなくなっているのか...?、その理由をちゃんと考える必要があるんだと思う。

今の人たちって、「小さなころって、思いっきり自由で、楽しくて、嬉しくて、満たされてたなぁ...」そんな風に感じて育った...ってのは、それほど多くないんじゃないのかな...?、そういうのって...

親子でいつも楽しく、だったり、おばあちゃん、おじいちゃんや親戚と会う機会が結構あってワイワイ、だったり、そのほかにも、近くの公園なんかで、年齢関係なく、友達とガヤガヤと遊ぶ...、そんな「いろんな人」と過ごす日常が必要なんだけど、

ここ20, 30年は、そういう機会は少なくなって、かなりの人はそんな経験は少なそう...、逆に、普段は、ちょっと寂しい...だったり、なんとなく物足りないなぁ...と感じていたり...、そんな日々が多かった んじゃないのかなぁ...?

本当は、
この誰かと過ごす経験、特に、子どもにとって、「常に誰かがそばにいて構ってくれる」その感覚って、そのまま安心感になって...それが、脳の精神性の発達を支えている...そう考えると、ほんとに大切。

もし逆に、それがなかったら...、
子どもはいつも不安を抱えていて、そのストレスは精神の発達を阻害してしまう。子ども時代に心穏やかじゃない日々を過ごせば、当然、よい思いは抱けないし、大人になって、誰かに優しくする...なんてこともなかなかできない...、いろんな人と接していると、そうかなぁ...と感じることがあります。

なので...、

そういう状況を解決する...タイトルに書いたように…
まず保育園、幼稚園、小学校で、先生を増やす。同時に、今の先生の仕事を減らす、ざっくり言うと、暇な時間を増やす...べきかなぁ...と。そうして...

子どもと先生との無駄話の機会を増やす...

本来は、家族で過ごす時間を増やすとか、各家庭や近所づきあいを通して解決する方がいいのですが、これだけ核家族化が進んじゃった今、それは難しいかなぁ...と、それで、子どもたちみんなが良い環境を...って考えると、

先生を増やしつつ、負担も減らして時間の余裕を作る...、これ以外に方法はない...

って思っています。

これが実現できれば、
いじめや、大人の発達障害、自殺者数増加、学力低下...などの諸々の問題も、かなり解決する...それを強く思っています。

あと、先生の負担を減らす...これはよく話題になっていて...なのに、なかなか解決には向かわなくて...、いつもやきもきしてますが...、

難しくしているのは、負担を「減らす」視点で考えてる からかなぁ...と。思い切って、ゼロから 何が必要か という風に考えれば、意外に近道かもしれない...、たとえば、小・中学校なら、子どもを教育して育てる、それだけに必要なこと...必要な科目を教えること、給食や掃除も含めたクラスの運用、イベント系として、体育祭、文化祭、社会見学 くらいかな...、そういう風に絞ってしまって、それらをどうしっかりやるか...、そんな風に絞って考えれば、すっきりするはず...^^

先生に時間的な余裕ができれば、ちょっとした子どもたちの変化にも気づけるはずで、その分だけ、いろんな問題が起こらずに済むし、子どもたちも先生とどうでもいいくだらない話もできる。そうなれば、気持ち的な満足 が多くなって、困った行動もあまり起こさなくなる...はず。そして...

学校で満足して家に帰れば、家でもちゃんとすることはするが増えて家族の仲もいい状態が多くなる かなぁ...と。
そうなれれば、
子どもころ良かったなぁと、大人になって思えるようになって、親世代になると、自分も子どもと一緒に過ごしたい...、きっと、そう思うようになる。

そういう親世代が増えると、当たり前だけど、少子化はなくなる。これには時間が掛かるから、今すぐにでも、先生を増やして、時間的な余裕をつくる...その方向の、一見ゆるい方策を検討して、すぐ実行する...

人はやっぱり動物なので、「人に構って貰って愛されてると嬉しい」と感じる...本能的なシンプルな部分を大切にするって、大事ですごく効果があると思う...

そうなることを切に願っています。

じゃないと、いろいろやばいと思う...

 

 

久々に iPhone 4S の生存確認...まだ動いた!...古いアプリをちょっと使いたくて^^

一つ前のブログ...その話題のきっかけになった小さなアコースティックギター...そのギターの調整の話です^^

下の娘が「こんな感じで使うの...?」と聞いてきて、使ってみようとしてたので、ちょっと手にとって試し弾きしてみると...明らかに音が変...(^^;)、しかも、前々から気にはなっていた弦を押すのにやたらと力を入れないとだめなネック(弦が張られている長いアームの部分)...orz

小柄な下の娘には、ギターが小さいとはいえ、弾きにくい...間違いなく、なので...

ちゃんと調整しようと決心^^、で、ざっと弦の張りを調整しようとすると...ブチンッ!、弦が切れた...orz

しばらく使っていなかったので、弦が錆気味で劣化していたせいっぽい(^^;)、仕方なく...、

新しい弦をと、子どもでも弾きやすいスーパーライトゲージをポチリました^^

弦が届く間に、ネックも調整...その調整は、ギターの穴の空いた部分からネックの端部にある六角穴の調整ネジを六角レンチを使って回してやります...、そうすると、ネックのアームの反り具合が変えられて、ネックからの弦の高さ(ネックと弦の間隔)を調整できる...というものです。

僕は学生時代に友だちに勧められてギターを購入したのですが、ちょこっと嗜む程度で終わり...そんな調整ができるなんて、上の子から教えてもらうまで知りませんでした...orz、当時、本を買うのもケチるような生活環境だったので^^;

ネックは、上の子に聞いたときにちょっといじったことはあったのですが、どれくらい回して良いか分からず恐る恐る回した程度...そのときは、あまり効果はなかったのですが、下の娘が使うので...今回は思い切ってガンガン回してみました...すると、かなり反りを変えられて随分と弾きやすくなりました...(^^)y

あとは、弦を張るだけ...

弦が届いたその日に、早速、正しく調弦を...で、調弦器を...と思ってハッと気づいたのが、調弦器がない...(T_T;)、上の子が一人暮らし先に持っていってしまってました...orz、仕方なく...

僕も古〜いアナログな調弦を持っていたなぁ...と、それを引っ張り出してみると...電池もない...orz、夜も遅く、買いに行くのも躊躇われたので、どうするかなぁ...と

ふと思い浮かんだのが、iPhoneアプリ...でも、今のアプリストアには無料で良さげなのを見つけられず...で、思い出したのが...

古〜い iPhone 4Sで使っていたギターの調弦アプリ(Tyro Tuner)^^

ゴソゴソと iPhone 4S と充電ケーブルを探しだし通電〜、さすがにすぐには電源は入らなくて少し焦りましたが(^^;)...しばらくするとちゃんと生きていて起動できました...(^^)/

白黒iPhone 4S

上の写真がそのiPhone 4S...今使っているのはiPhone SE(第1世代)、これも年季が入ってますが、先代の4Sもいろいろと延命処置をしてました^^

見ての通り、裏表のカバーの色も白と黒...つまり、家にあった2台の使えるものを流用して2個1に...随分と頑張ってもらってお世話になりました(^^;)

起動したiPhone 4Sの中を探してみると、ちゃんと残ってました調弦アプリ...で、問題なくアプリも起動〜♪、このアプリの良かったのはシンプルなところ...

画面上の調弦したい弦(ヘッドのペグ(糸巻き))を選択して、後は実際のギターの音を鳴らす。音が正しい音程に近いと真ん中のゲージが反応してくれる...ただそれだけ。広告や課金の煩わしさもなかったのも本当に良かったなぁ...♪

ということで、ギターも上手く調整が終わり、ちょくちょく使われてます^^)/...でも、一番ちょくちょく使うようになったのは僕かもしれない...(^^;)

 

いつ来るか分からない子どもの興味...親の役目はそれを気長に「待つ」...なのかも^^

今、家には小さなギターが1本...上の子が中学生になる前後に家にやってきました...^^

その頃、楽器に興味を持ちそうかなぁ〜って雰囲気があったので...、小柄な子どもでも弾けそうなものを選んだ記憶が...、結局、その当時、それほどそのギターを扱うことはなかった彼ですが、今は、エレキギター2本、フォークギター1本(元々僕が持ってたやつ...orz)を、一人暮らし先に連れて行き楽しんでるようです...♪〜、そして...、

今は小さなギターが置いてきぼりで家にいます...妹が使うだろうから...ですが^^

そして、ついこの前...
下の娘が、ギターに興味を示し、小さなギターを引っ張り出してました...まだ本格的ではないですが...

やっぱり...親なので、これどうかなぁ...的に、本だったり、何かの道具だったりをほんの少しの可能性を期待しちゃって買ったりします...が、残念ながら、そのときには思ったように興味を持ってくれない...ほんとうによくあります...orz、ただ...、
ずっと後になって興味を持つことは結構あって

大切なのは、その時まであまり無理せず「待つ」...だったりします。

この小さなギターだけじゃなく、他にも色鉛筆なんかもそうでしたが...それらへの子どもの興味って、親が思い描く経路じゃなく、全く違った経路からやってくる...どちらかと言えば、それがほとんどって気がします...^^、
そんな思いもしない経路で、ふわっと興味がやってきたときに、随分前に揃えていて「以前からなんとなく近くにある(ギターや色鉛筆たち)」...そんな環境が、その興味を手助けしてくれて...、子どもがタイムリーに夢中になることができている...
なんだ〜結局 良かったじゃん...ってのも、それなりによくあります^^

そういう子どもの興味って、実は普段の親子の会話が、親のせいでなんとなくそっちに向いてるからなのかも...ですが。

僕自身、こういうことに興味を持たないかなぁ...的な、子どもたちへの思いは、やっぱりあるのですが、強引なのはあまり好きではない ので、こんな感じで「何となく待つ」を大切にしています(^^)

「待って」それがやってきたときを上手く捉まえる...

時間は結構掛かりますが...長いと1年だったり、2年だったり...、でも「自分から」ってのは、やっぱりエネルギーが違っていて、ちゃんと続いている場合が多いです^^

つい先日も上の子と話していて...、彼は1人暮らし先に、僕が学生時代に買ったRolandMIDIキーボードも持っていったのですが、よく使っているらしいです^^、そのときに「ようやく元が取れた」的な話もしました...およそ25年越しです(^^;)


ちょっと話が逸れましたが...子どもの興味に限らず...

子育ての中で、「待つ」って、とても大事な親の仕事の一つ...じゃないのかなって思っています。

買い物なんかでお出かけしたとき、公園なんかに遊びに行ったとき、ごはんを食べるとき...どうしても親の都合で切り上げがちになるけれど、そんなときも、できるだけ待ってみる...、

子どもに色々話しかけながら、何となく次にいくのを分かってもらう...

そういう「待つ」ときのやり取りが、子どもにとっては、「自分のことを思ってもらえてる」って感覚に繋がっている...んじゃないのかなぁ...って、その積み重ねが、「自分はこの家族の一員」「ここ(この家族)は自分の居場所」って思いになっていく...そんな風に考えています。

最近、「自己肯定感」って言葉をよく目にしますが、「自分はここにいていいんだ」「ここの一員だ」的な「居場所がある」という安心感を抱けるような経験...それだけでも、かなり良くなりそうだよなぁ...って思ってます。

そういう意味でも、子どもに合わせて「待つ」って、いいんじゃないのかなって思います。時には、なかなか辛抱強さがいるなぁ...ってときもあったりしますが...(^^;)


余談ですが、このブログ、最初はギターの話から、その調弦に古いiPhone 4Sを引っ張り出した...云々...のつもりでしたが、だんだん話が逸れてしまった...

なので、iPhone 4Sの話はまた今度書くことにします...orz

 

体験がないと、いくら文書化を頑張っても想像力や考える力って中途半端...上手く理解されない気が...

最近、仕事で気になるのは、何でも文書化してしまってる…ってことです。

きつい言い方かもしれませんが、文書化する=仕事をした...ことになっている…そう感じることがよくあります…(^^;、これも...PCやスマホのお陰で、文書作成は格段に楽になったせいですが...

また…、

それを受け取る側も、文書化されたものに辟易しつつも…いつの間にか、これが記されてない、あれが記されてない…と、不備を指摘し応戦してしまっている…orz、そんな負のスパイラルに陥っていて…何とも言えないむず痒さを覚えます…

何でも文書化の風潮...心配なのは、「文書化したのでこれにしたがって、これからはやってくださいねっ、キリッ」…的なもののはずですが、色んなところで躓いてることがほとんど…(^^;

その理由を考えてみると...

実際にそれをやってもらうと、どうなっていくのか...が、あまり想像できてない...つまり、
実際に人を通して、行動がなされていって、それが複数の人だと理解されなかったり、想定外だったり...で、ところどころで上手くいかないことが起こってしまう…(^^;)

何かを人にしてもらうことで難しいのは、人は自分とは違う...ということです。でも...最近よく目にするのは、自分の思った通りに行動されないことにピンと来ずに困っている...そして残念なのは、怒ってしまっている...そんな光景です...orz

そこで感じるのは...、
現場での体験、体験とまでいかなくても、現場で行われていることの肌感覚...不足

そういうのが足りないと...、
「こういうことが起こりうるなぁ...」とか、「これは理解が得られないなぁ...」とか、「理解を得るにはこうしたら良さそう...」的な発想がでてこない...

今の文書化されたものって、プログラミングのフローチャート(流れ図)っぽいのが多い...(^^;)、

フローチャートって、作成者の考えた通りにしか動かない...けれど、人はそうはいかない...おそらく、文書化には限界があるんじゃないのかなぁ...と、だから「会議」があって、明記されたもので決められないことを議論して決定する...

文書化され過ぎちゃうと、つまり、細かく文書化されちゃうとガチガチになってしまっていて、ちょっとしたイレギュラーも受け付けられない…orz

随分前なら、じゃあ、そこは臨機応変に^^…でしたが…最近の悪い傾向は…さらに…、
そのイレギュラー対策の追加事項を増やし、どんどん文書を肥大化させていって、強大な矛盾束縛王みたいなものを育ててしまってます…トホホ

今って、そんな土壺に嵌ってしまっているような...気がします^^

僕の職場は、特にそれが顕著なのかなぁ…と思いつつも、子どもの学校の話なんかを聞いてても、その影響かなぁ…と勘繰ってしまうものもちょくちょくあって、蔓延してるのは間違いなさそう…

本当に心配なのは…
子どもたちが、そういった文書化の山の中で育っていってしまうこと...だったりします。

何かの良し悪しを判断するのも、考えるんじゃなく、どこに書いてあるかを探す、だったり、誰かの指示を待つ…とか、つまり、まずとりあえず答えを探す…そんな習慣がついてしまわないか…って心配になります…(^^;

子どもたちには...
何かの問題に出くわしたときに、何が正しそうか、どうしたら良さそうか...を、まずは自分で考える...、それから、必要があれば調べる...できれば、そうした方がいいよ...的な話を、そんな機会があったときにはしています...(^^)

学校は、多少気になる問題もあったりしますが、それでも、子どもたちが色んな人たちと関わる貴重な場でもあって、その関わりを通して、いいこと、わるいこと...様々な体験をします^^、そんな中で...、

何かコトに対して、まず「こうだよなぁ」的に思える 習慣がつけば、それってたぶん...今いる状況で、本質的に何が大切かをつかめるようになっている...んじゃないのかなぁ...って思っています。