考える虫のつぶやき

こうやって生きたらいいのに を探して、物の見方、考え方について、あれこれと思うままに書いています。なぜか夜中ばかりの投稿ですが…

飲みニケーションの支持大幅減…いる理由、いらない理由

飲みニケーションについて、6割が不要…というニュースが出ていた。

個人的には、僕もそうだったりします。飲めないからですが…orz

ニュースを見ると、
コロナ禍の自粛もあって、飲み会の機会がなくなったのが影響して…という風に伝えられていたけど、

その素地はとっくにあったんだろうなぁ…と、そして、
コロナ禍の自粛要請を幸いに、
「飲みニケーション、不要だよね!」的な意見が堂々と言えるようになった
…そんなところかと、

このニュースに関連して、
不要とする意見、必要とする意見がニュースや、SNSなんかで飛び交っていてまあまあ面白いです…(^^;

誰もが感じてることですが、
年配の世代は、「必要」、
若い世代は、「不要」

の意見が多い。

おそらく、
年配の世代というのは、
僕らより上の世代 …
ひょっとすると、僕らの世代も入るかもしれません…(^^;
(僕は、なくてもいい派なんですが…)
そして、
僕らの世代くらいから、
不要と感じる人たちが多くなっていっている…そう思ってます(^^;

そして、

「必要」とする意見の中で、
「なんとか(なくならないように)考えないといけない…!」

的なコメント、意見が出てたりしていました。ですが、

これって、
相当に難しかろう
…というのが、率直な意見です。つまり、

もし、
それ(飲みニケーションが必要とされる社会)を実現しようとするなら

個人的には、
小さな頃の環境から変えてあげなきゃダメだろうなぁ…と思うからです。

今の状況って、
年配世代と若者世代の、小さい頃の環境があまりにも違っている…その結果が1つの形として現れた…、そんな風に考えることができる。

年配世代の人たちって、
子どもの頃、多くの人(家族や近所の人たち)に囲まれているのが当たり前、その中で、面倒をみられたり、助け合ったりして育ってきた人が多い。

対照的に、
若者世代の人たちは、
核家族が多くて、家族が少なくて(家庭によっては鍵っ子で1人)、誰かと関わることが少ないまま育ってきた人が多い…たぶん。

「いやいや、みんな学校に行ってて、沢山の人との過ごしてるじゃん」って、突っ込まれそうですが、

若者世代は、ほぼみんな同い年、
年配世代は、年齢ごちゃ混ぜ

で、この違いは、結構大きいのでは?…と思っています。

自分の小さい頃を思い出してみると、
公園に行くと、近所の兄ちゃん姉ちゃんがいて、よく一緒に遊んでもらった記憶があります。
そして、
みんな、親が一緒ってのは少なくて、ときどき顔を出すくらい。

それに比べると、
今の(僕らの)子どもらは、なんとなく親が一緒が多いかなぁ…(^^;
しかも、
沢山の子どもたちがワイワイ遊んでる公園って、あまり見かけない…orz

今の若い人たちは、そういう環境で育ってきてて、
年齢の違う人たちと過ごすなんて、それほどなかった
なので、
それをいいなぁ…と感じる機会もないし、どうしていいのかも分からない…
「飲みニケーションの意味って何なん?…」
ってことになる
んだと思う。
そもそも、
その価値観自体、経験として持っていない…、
これって大きな要因じゃない?って気がします。

逆に、
年配世代は、小さな頃の体験から、
勤め先でも、みんなが集まって和気あいあい を 元気の源 にすることができていて、
「飲みニケーションって、大切だよね!…」
って感じるし、「必要」だ~って意見にもなる
んだと思う。

あと、もう1つ、
今の若い人たちは、
職場でも、言いたいことをちゃんと言えるようになっている
…というのもあるかもしれない。
年配世代の人たちは、なかなか遠慮して言えない(言わない)…だから、飲みニケーションで…となるのかも。

いずれにしても、
こうやって考えていくと、

若い人たちに、年配の人たちが思う「飲みニケーション」の良さを分かってもらうには、
(それが必要かどうか分からないですが)

今の「飲み会」のやり方をちょっと工夫するくらいじゃあ、なかなか上手くいかない。きっと…

大袈裟かもしれないけれど、
本気で考えるなら、
小さな頃から、いろんな年齢層の人たちと交わって一緒に過ごす環境を整える…みたいなことが、必要なんじゃないか?…と
結構、心底そう思ってたりします。

それ以外だと、自然発生的に、ところどころで、集まって親交を深めるままに任せるでいいかも…
上手くやれるんなら、なんとなくそれを繋げてくとか…なかなかそんなことができる人は少ないけれど…

いずれにしても、
それぞれがどんな環境で、どんな生い立ちで今に至ってるのか…?、
そこまでお互いが、相手に対して思いを巡らせて理解できるようにならなくちゃ
…想像できなくちゃ…
なかなか、そのギャップって埋まらないんじゃないかと思う。

飲みニケーションに限ったことではないけれど…(^^;


だらだら長くなってしまった…orz
スマホでこれを書くのはしんどい…

#飲みニケーション

○○の退陣(辞任)を求めます...何を言いたいのだろう...?

ついこの間、衆院選が終わり,新しい政権に変わったのですが,早速,SNSでニュースの項目を見てみると,

「○○の退陣(辞任)を求めます」みたいなタグがでていた...orz

 

この種の表現で、政治にものを言おうとするのは「なし」だと思う。

(政府に限る訳ではないですが、例として話しやすいので...^^;

 

政府がやる仕事って多岐にわたっているはずで、その中で、

何か1つが納得いかない として、それを理由に、上に書いたような表現でアピールするのは...???

そして、なにより、

「何が言いたいのだろう...?」

って思ってしまう…(^^;

 

厳しい見方かもしれないけど、

そういう人って、誰かとの関係で、何か1つ気に入らないことがあると、全否定したり、拒絶したり...

そういう行動をしてしまいやすいんじゃないのかなぁ...?って思う。

そして、やっぱり、

もっと寛容じゃないとダメなのに...とも

 

本来なら、

何か納得がいかない政策なんかがあれば、それに対して、

「○○には賛成できない。理由は××で、▲▲であるべき...」的な主張がされるべき...

じゃないかと...、

これって、結構まじめに考えなくちゃならないし、面倒くさい...orz

それに対して、

「○○の退陣(辞任)を求めます」みたいなアピールって、

すごく楽で、しかも、インパクトがある ように感じる。

 

だから、

そんな風になるんだとも思うけど、これはこれで、楽してる分、

「自分は何も考えてはいないけど...」って言っているのと同じ じゃないかな?...とも思ったりします...-.-;

 

最近は、いろんなところで、「All or Nothing 的に考えてしまう」傾向が強く なっている気がしています。これって、

「一人ひとりの寛容さが弱くなっていることの現れ」なんじゃなかろうか...?、おそらくだけど...、

ちょっぴり心配になったりします...orz

 

 

ルンバの玄関ダイブを止めろ!…手軽な小さな段差 対策…

少し前ですが、掃除ロボットのルンバが家にやって来ました。

一年ほど前から迷っていたのですが、たまたま、子どもとジャパネットを見ていて…安かった…orz

買うか、買わないか…
ぐるぐるとしばらく頭を回らせて、決心してポチりました。

こんな風に迷うときは、ほぼ目的探しのためで、今回はなんとか買う理由を捻出できた…?ってことなんだと…(^^;

その購入理由ですが、
1つは当然、
「家の掃除の手間を省くこと」
ですが、それに加えて、
最近やって来た小さな家族が、小さなゴミをよく散らかす…orz…からです。

そして、もう1つ…こちらが核心?
最近、やたらと
「AIやIoTなんかが重要だぁ~」と言われてる気がしてて、
「そういう技術を活かされたものを実際に知るのは、子どもらにもいいかも…!?」と思ったからです。
あと、僕も見てみたかったし…(^^;

そんなこんなで、ちょっと高い授業料では?…と迷いもしたけど、思い切り
ました。

買ったのは、ルンバ960シリーズ
部屋の中の障害を検知するために、
衝突センサー、段差センサー、カメラが付いていて、ある程度、自分で状況を判断しながら、淡々と掃除をしてくれます…(^^)/
あと、
ホームドックが付属していて、終わると、自分で勝手に戻ります(^^)d

さらに、
wifiでネットに繋がって、スマホで外出先から操作することもできます。まさに IoT だったりします。

ただ、
ルンバ君に活躍してもらうには、
「掃除の前にできるだけ掃除(走行)しやすい環境を整える」
のが必要
で、

クッションを椅子の上に置いたり、
電源ケーブルを上に引っ掻けたり、
床に落ちてる吸えない大きめの紙類(うちだけ?)を除けたり…
ことをする必要があります。

こんなの面倒だ~っ!…自動の意味な~い!…って、意見も見ますが…

普通の掃除機で掃除するときも、
「その都度やってる、ちょっとした行為」を、
「最初にまとめてやるだけ」
と思えば、あまり気にならないかと…^^

始まってしまえば、ゴソゴソ、グルグルと動き回って、もくもくと頑張ってる様子が、微笑ましく、楽しいです(^^)d
また、
子どもたちも、どこがすごくて、どこが物足りないのか…いろいろと感じているみたいです(^^)


さて、
ルンバの紹介で前置きが長くなってしまいましたが…本題は、

「うちの玄関は、段差が低くて、ルンバ君は止まらず、突っ込んじゃう…orz」
ってことです。
奥さんに聞くと、よく落ちてる…とのことです(もっと早く言って欲しい…)。

もしや、センサー不良!?…買ったばかりなのに…と思い、まず、それを確認せねば…ということで、

ルンバ君を、低いコタツテーブルの上に、下にはクッションを置いて…
動かしてみると、ちゃんと高さを検知して落下を回避してます
(^^)…壊れてない…ホッ

ということで、
問題は、玄関の段差

実際はこんな感じ、
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見ての通り、
「段差が低い」、しかも…
「靴が置かれた低い部分の色が、高い部分の床の板張りの色と同色系」
さらに、
「玄関は灯りが暖系でさほど明るくない」

それで段差を識別できない…きっと

だから、
明暗、コントラストをはっきりさせられれば…

ということで、
思い付いた解決策が、
「低い部分に、黒い帯状の紙を敷く」…いたって簡単!

試しに、
お土産用の紙袋で、黒基調のものがあったので、ハサミでチョキチョキ…
帯状に切り出して置いてみました

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すると…
ルンバ君は、その色(明るさ、コントラスト)の違いを、ちゃんと認識して、ダイブを回避してました。(^_^)v解決

この帯状の紙、もったいないので、玄関のクローゼットに置いといて、掃除のときに出して使う…そうしました。

とにかく、
早くも故障?と、焦りましたが、それはなく、
「低落差でのダイブ」の問題も、思いのほか簡単に解決できたので、良かったよかった。

これでまた、ルンバ君に、心置きなく掃除をしてもらえそうです(^^)

#ルンバ
#お掃除ロボット

子どもにとって、社会を作るを学ぶ場が家族でなくなってしまってる?…核家族だと

いじめや差別について考えると、やっぱり気になるのは、
それに関わる人たちの家族構成や生い立ち
だったりします。

僕は、生い立ちを知ったり理解することで、
多少気になるところがある人でも、
無闇に、拒否したり、反発したりしなくて、やんわり受けとめることができるのになぁ…と思っています。

そんなこともあって、核家族についてネットでなんとなく調べていると、

こんな良い記事を見かけました…(^^
地味な暮らしで幸福度日本一になった福井県。「三世代同居こそが最高の贅沢品」 | リノマガ

福井県は、三世代世帯が多くて、幸福度が日本で一位(2017年の記事ですが)。

読んでみて、なんとなく分かる気がすします。僕の家は所謂核家族ですが、記事に書かれている状況は理想だよなぁ…と感じます。

そして、こんな記事もありました。
「えっ!」子どもとの同居は満足度が低いシニア世代の「つながり消費」の読み方――三菱総合研究所主席研究員 高橋寿夫 | 三菱総研のニューノーマル消費を読む | ダイヤモンド・オンライン

これはシニア世代を対象にした、核家族とか小さな家族構成についての調査に関する内容で、
家族間でストレスを感じる…とか、あと、子供(成人した)との同居は、幸福度を下げるなんて話が書いてありました。
(あくまでもシニア世代の結果です)

今は明らかに、核家族化(さらに進んだ一人世帯化が)進んでいて、この2番目の記事なんかをみると、

僕らは、核家族みたいな小さな家族構成を選んでしまっている結果、

段々と社会を形成する能力を失っているんじゃないのかなぁ?…とちょっと心配になります。

今、色んなところで問題になってる、「いじめ、差別、○○ハラ…」
これらの問題って、み~んな、
それぞれの人が、学校や会社、最近だとSNSもかな、何らかのグループ(社会)に入って、そこで起こってしまう問題です。

先に話した、2番目の核家族に関わる調査結果なんて、別の見方をすると、
「小さな家族という社会すら、上手くやっていけない」…、ひょっとすると核家族が二代以上続くと「どう上手くやればいいのかも知らない?」という結果じゃないのかなぁ?…と

もしそうなら、
学校や会社なんかの、もっと大きな社会になると、当然ながら、必ずどこかで問題が起こる。それはおかしくないんじゃないの…?

そう思えてしまうわけです…orz

だからといって、
さあ、二世代、三世代で一緒に!って訳にはいかないので、
うちも核家族ですが、じゃあ、すぐに親と一緒に…てのは簡単じゃあない…かな。やっぱり、それには素地みたいなものが必要で…(^^;

そう考えると、
特に子どもたちのことを考えれば

小さな家族構成を補完する、何らかの仕組み(学校以外の…、より低年齢の時期で、地域の行政が提供するような)が必要なのかもしれません。

僕自身、
自分の家が核家族だってことを意識して、子どもたちと接するように意識しているのですが、ときどき難しいな~って思うことがあります(^^;

子どもにとって、核家族ってとても狭くて、それがすべてです。だから、何かあったら逃げ場がない
親ガチャみたいな言葉も、核家族だからこそ出てきた言葉なのかも…?

僕は小さい頃、核家族でしたが、幸い団地だったので、近所のおばちゃん、おじちゃん、お兄ちゃんたちがいて、可愛がってもらえる環境があったので、今思えば、それは良かったのかなぁ…と

子どもにちゃんと逃げ場があると、ストレスもあまり貯まらなくて、
いじめになったり、引きこもりになったり…って、なりにくいんじゃないのかな…?

そんな風に考えています。

#子育て
#核家族

若い人が投票に行かない…投票で変わるのはその後の自分…?

衆院選選挙ネタで連投になってしまいますが…(^^;

衆院選のニュースを聞いていると、
「若い人が投票に行かない」という問題が取り上げられていて…
(今回に限ったことじゃないですが…)、
インタビューで、これまたいつもの通り、「自分の1票で何かが変わるとは思えない」的な意見が紹介されていました。

それについて、よくよく考えてみると、
「何かが変わるから投票する、変わらないから投票しない」という発想そのものって、厳しい言い方になるけれど、
「他力本願で、自分は何もしない」的な考えになってしまっている…と言えるのかもなぁ…と

そもそも、投票って、
「1票を投じる」という機会が、
「自分でそれについて考える」機会になって、
「そうして考えたことが、自分の普段の行動に変化をもたらす(無意識に)…」、つまり、
カッコつけた言い方をすれば、
「自分で変える (自力本願)」
そんな行動につながる

そうあるべきものなんじゃないのかなぁ…と

自分で考えたことって、意識してなくても、知らず知らずのうちに、自分の行動に影響するものだし、
自分の普段の行動も、良いのも、悪いのも、それなりに周りに影響してる(してしまう)…、

そう考えたら、その1票が
誰それが当選した、○○党が何議席獲得した…には関係なかったもしれないけれど、
何らかの形で、社会に変化をもたらしていて、次やその次のときには、見た目でも分かるような影響を与えている
そんな風に考えればいいかも…、つまり、

「投票で変わるのは、何より先に、その後の自分」

そんなことを考えながら、今回は投票に行きました。


それにしても、
「あなたの1票で政治が変わるっ!」というのが、一番の訴えだったりすると、そりゃあ、
若い人も「1票で変わらない」と思ってしまっても仕方ないのかも…

訴える側も、メディアも、そして、僕ら(以上)の世代も、もっと、ちゃんと考えて、日頃から伝えていかなくちゃダメですね。

衆院選が子どもと話のネタに…いつの間にやら…

今回の衆議院選挙、蓋を開けてみると、与党が安定的多数、維新の躍進。
結構、まともな結果だった気がします。

そして、
この衆院選の期間中、個人的にも思いもかけず衆院選を楽しめました(^^)

思いもかけずというのは、

上の子が、僕が選挙がらみのニュースを見たり聞いたりしていると、普通に立候補者や各党の選挙運動の話をしてきたりして、盛り上がったことです

これまでも、選挙だけじゃなく、
いろんな出来事のニュースについて、僕は「○○は、△△なんだよね…」的な感じで話をするようにしていた…癖がある?…のですが、今回は、これまでのやや一方的な話ではなくて

彼とは、普通にお互いの意見を交わしながら話をしてました

上の子は今、受験生で同級生にはもう選挙権がある友達もいて、学校でもそんな話で盛り上がっているからなのかもしれません…

残念ながらまだ誕生日が来てなくて、子ども扱いされてるようです…(^^;

何れにしても、
僕的には「いつの間にか…」としみじみ感じさせる衆院選でした。

日頃から、「いろんな方向から物事を見る」ことを意識して、何についても自然な流れで話をするようにしている…のですが (子どもたちには、自然じゃなく感じることも…orz)、

彼の話を聞いていると、
それなりに広く捉えて、バランスよく考えている
感じがしました。
そのやり取りが愉快だったのも、それだからかもしれません。

とにかく、新しい気付きもあって、いろいろと有意義な衆院選でした。


今年はまだ、これから色々と大変だろうけど、頑張って

誰かのために空いてる時間を持つ仕事…それが先生なのだから…

先生って、昔と違っておおらかでいられるような仕事じゃなくなった…そんな気がします。

そして、
これが今の学校が抱えている問題の、最大の理由なんじゃないのか…そう思うのです。
特に、いじめの問題とか…

家での子育てもそうですが、僕が
大事にしているのは、「そばにいる、ただ見ている…」、そんな状況(時間)を持つ ことです。

端から見ると、
「何もしてない…楽そう…」、そんな風に見えるんだろうけど…(^^;

でも、そうすることで、

「子どもの素に近い情報(状態)を知る」 ことができます。

先生に必要な技術的な能力で、大切なのは、
「伝える力」と「観察する力」
だと思っています。
(熱心さや、優しさ寛容さなんかは別にして)

伝える力は、いろんなところで鍛えることができます。今は色んな機会や情報もあるので…
(ただ最近気になるのは、その力が持て囃され過ぎてることですね…orz)。

あと、伝える力は、
先生から子どもへのアウトプット
のための能力
とも言えるかな…

そして、もう一方の、
子どもから先生へインプットするための能力 と言える、
「観察する力」は、そう簡単には身に付かない
それを説明するのって難しいのですが、経験的なことを言えば、
そういうことが習慣付いている人に逢ったことは、本当に稀…だからです。

たぶん、
「観察する力」は、
それなりに意識してやらなくちゃ身に付かないし、
日常でも、それなりに観察する時間を使って発揮できるもの

そういう能力なのです。きっと…

つまり、

「観察する力」には、

端から見て、
「暇そうで、空いた時間」、
それこそが必要で、大切。

そうなる訳です。間違いなく…


でも、実際のところは、色んなニュースや特集で取り上げられてるように、

先生たちは、通常の時間割上の仕事(準備も含め)のほかに、色んな事務的業務や、クラブ活動の指導などの仕事もあって…、最近ではブラックな仕事と言われるほどに…orz

さらに、今の風潮として、
「観察するような時間が許されない…orz」、そんな雰囲気がある。

なぜ、それが問題かといえば、
その雰囲気が、文科省や学校の上部組織の役人をビビらせ、学校への不必要な(責任回避の)事務的な仕事を作る。そんな流れができるからです。
今は、そんな仕事で溢れています…orz

観察って、余裕がなくちゃできないことで、
今の多忙で余裕のない先生にはとても無理な話です。したくてもできない…というのが実情じゃないでしょうか…きっと。

長々書いてしまいましたが、とにかく、

今、本当に必要なのは、
外野からは一見、
「空いて暇そうに見える、先生たちの時間」

です。

「空いてる時間」を心配する人がいるかもしれませんが、
「より授業の準備を充実させたり」という風になるはずなので、あまり心配はないと思うし、

子どもたちにとっても、
「少し時間に余裕のある先生の雰囲気は、話し掛けやすいはず」
なので、
観察だけじゃなく、さらに、子どもたちからの情報が得られやすくなって、

「いろんな問題を早く察知できて、解決できるようになる」

そんないい流れができると思うし、そうなって欲しいと心底思っています。


明日は衆院選投票日ですが、
次の政府には、そういう政策を 是非やって欲しい。