考える虫のつぶやき

こうやって生きたらいいのに を探して、物の見方、考え方について、あれこれと思うままに書いています。なぜか夜中ばかりの投稿ですが…

Windows 10, 11の導入時の健忘録…アカウントなしで使う方法…

ずいぶん前に古いPCを譲ってもらって放置してたのですが…(^^;

さすがに勿体ないので、最近、設定しました。

元はWindows 7だったのですが、この際とばかりWindows 10にアップグレード…本当はWindows 11をと思っていましたが…

まっさらにしたかったので、Windows 10をインストールするディスクイメージをダウンロードしてディスクを作ってインストールしました。これにも実は手こずりました…orz

これは本題ではないので…

本題ですが、

インストールが終わって、いよいよ使うための設定をします、

国と言語キーボード…そして、

アカウントの登録(なければ作成)

の設定へと勝手に進んでいきます。あたかも、

「アカウント登録無しでは設定できないよ!」的な設定画面です…(^^;

個人的には、アカウント登録は必要なら後でと思っているので、いろいろ検索すると、

アカウントなしで設定する方法がありました…とても簡単^^

その方法は、

「ネットに繋がない」

その状態で設定すれば、アカウント登録の設定を飛ばすことができます…(^^)

具体的には、

LANケーブルを抜く とか、

Wi-fiに繋がない とか、

ルーターの電源をオフにする(設定の時だけ) とか…

で、ネットを切断できます。

これはWindows11でも同じようです。

 

今回これを調べて、この解決方法を見つけたとき、ずいぶん前にも、同じように調べたのを、はっ!…と思い出しました…orz

なので、

忘れないように書き留めることにしました^^

でも、きっと、しばらくすると書いたことを忘れてる気がします…(^^;

#Windows10 #Windows11 #アカウント登録しない

 

本当に必要な少子化対策~先生を増やして、負担を減らすこと

かなり長いので、時間のあるときにゆっくり読んでもらえれば...


核家族化の悪い側面の完成形

第一次ベビーブームつまり団塊の世代で、核家族化が一気に進み...

その結果、

子育てをする親たちは、彼らの親や親戚の協力を受けられなくなってしまった

特に、親から子育てについて教わる機会を失った人たちはかなりの数いたはずで、

この影響は、とてつもなく大きかったんだと思う。

 

個人的には、

今の僕らの親世代は、子育て世代という意味で、

核家族化の悪い意味での完成形なんじゃないか...と思ったりしています。

 

昔も、子育て本なんかがあったと思うけれど、

そのときそのときの子育て中の出来事でのやり方について、

「塩梅」のようなものは文章化は難しくて、そこまで分かりやすいもの

なんてほとんどなかったと思う。きっと...

そんなときに、子育ての先輩...経験者の親から教えてもらう

ときには、目の前でやってもらう...、それって「百聞は一見にしかず」で、

ものすごい子育て支援効果だったんだと思う。

それ以外にも、

「もうすぐ、こういう風になるから...」的な、

これから起こり得ることを前もって話してもらえるのも、

十分な心の準備ができることに繋がって、

つまり、

子育てをする親にとって、事前に知っているか、知らないかでは、

精神的な負荷が、まるっきり違っていて

知ってる...ただそれだけで親のストレスは随分と少なくなってたと思う。結局、

これもかなりの子育て支援効果になってたんだと...

 

さて、今、国会でも議論されている「少子化対策

でも間違いなく、断言できるのは、たぶん上手くいかない。

そう思うのは…

 

今から親世代になろうとする若い人たちが抱いているのは、

「子育ては大変だ」ということだけど、その理由として挙げているのは、

経済的な理由が最も多くて、そのほか、仕事との両立が難しい、などなど。

 

そこで挙げられている理由は、根本的な原因ではないんじゃないかなぁ...と

 

なので、よく耳にするこれらの理由を解決したところで、

じゃあ子どもを持ちたいと思うようになるか...といえば、

きっと、そうはならないと思う。

それは、

子どもを持ちたくてしょうがない...と思う これからの若い人が多いわけではない から...

 

そう考えると...

本当の「少子化対策は、

「本当に子どもが好き」「子どもを育てで、子どもと一緒に楽しく過ごしたい」...

そんな思いを強く抱いている、これから親世代になる人たち が増えること。

 

どんなに経済的な問題を解決するような施策を打ったところで、

そもそも、子どもを持ちたいと切望していないのなら、

どうしようもない。

今問題なのは、若い人の多くは、

さほど子どもを欲しいとは思っていない...ってこと なのだから...

まして、子育ては大変だぁ...とても苦労する...

って話ばかりが話題になれば…それは当然、難しくなってしまう...orz

 

だから、

子どもを持ちたい、育てたい…みんながそう思うようになるには?...

そういう視点で、解決方法を考えなくちゃいけない んだと思う。

 

そのためにまず、現状について、

強く「子どもを持ちたい」と望むことがなくなっている...

その理由をちゃんと考えなる必要があるんだと思う。

 

今の人たち(親世代の人たち、それより若い人たち)って、結構多くが、

「小さなころって、思いっきり楽しくて、嬉しくて、満たされてたなぁ...」

そんな風に思ってなさそう...

 

そう思うのは、

親子でたくさんの楽しい時間や、

おばあちゃん、おじいちゃんや親戚と会う機会が結構あってワイワイ過ごすだったり、それ以外でも、

近くの公園なんかで、年齢関係なく、近所の友達とガヤガヤと遊ぶ...、

そんないろんな人と過ごす日常が必要なんだけど、

ここ20年, 30年は、

そんな風に過ごせるなんて希で、かなりの人はそんな経験はほとんどなさそう...

どちらかと言えば、

普段は、ちょっと寂しい...だったり、なんとなく物足りないなぁ...と感じていたり...

そんな日々を過ごしていた んだと思っています。

 

いやいや、学校で友達と楽しく過ごしたよ!...と言われそうですが、

難しいのは、自分が今いる現状って、それが当たり前と思ってしまいがち

ってことで、それが良いか悪いか何て、客観的に見ることはかなり難しい...

 

話を戻すと、本当は、
この誰かと過ごした経験、特にそれは、

子どもにとって、「常に誰かがそばにいて構ってくれる」

そう感じられることは、とても大切で、

それが、なぜ大切かといえば、

その安心感が、脳の精神性の発達には不可欠だということ...

逆にもし、
それがないと、

子どもの気持ちはいつも不安で、そのストレスで発達が阻害されてしまう

子どもの頃に心穏やかじゃない毎日を送れば、当然、よい思いは抱けないし、

大人になって、誰かに優しくする...なんてことも難しい...

いろんな人と接していると、そう感じることが結構あります。

 

まずは、それを解決する...

 

それには、タイトルに書いたように…

 

まず保育園、幼稚園、小学校で、先生を増やす

それと同時に、

今の先生の仕事を減らす、ざっくり言うと、暇な時間を増やす

なんだと考えています。

 

本来は、家族で過ごす時間を増やすとか、祖父母や親戚づきあいを

良くする、近所づきあいを良くする...など、

各家庭で解決される方がいい のですが、最初にもぶつぶつ書いて

しまいましたが、核家族化が進んでしまった悪い意味での完成形で、

難しいかなぁ...と、子どもたちみんなが良い環境を...と考えると、

 

先生を増やして、同時に、負担を減らして時間の余裕を作る...

 

これが一番だと思っています。

 

もっと言えば、そうすれば、

いじめや、大人の発達障害、自殺者数増加、学力低下...などの

諸々の問題も、今に比べれば随分と、そして、はっきりと

良くなって解決すると思います。

ここはそう言い切ってもいいとすら思っています。

 

あと、先生の負担を減らす...

これはず~っと話題に取り上げられ、議論もされていて

なのに、なかなか解決へとは向かわなくて...

やきもきしてしまうことが多いのですが、

 

難しくしているのは、負担を減らす という視点で考えるからで、

思い切って、ゼロから 何が必要か という風に考えれば、
意外に近道かもしれない...

たとえば、

小・中学校なら、子どもを教育して育てることだけで必要なこと...

必要な科目を教えること、給食や掃除も含めたクラスの運用、

イベント系として、体育祭、文化祭、社会見学 くらいかな...

そういう風に絞ってしまって、それらをどうしっかりやるか...

だけ考えれば、すっきりするのに...って思う。

 

今の時間的余裕のなさの問題で、その最たるものは、

やたらとチェックをさせるものが多い ってことだと思う。

 

そもそも何かの問題を 見落とす のは、サボっていたり、怠ったり というよりも

あたふたして余裕がなく目が行き届かない からがほとんどだと思う。

なのに...
さらに時間を要する チェックという仕事を課してしまっている

本当に考えものだと思う。

 

先生に時間的な余裕ができれば

ちょっとした子どもたちの変化にも気づけるはずで、

その分だけ、いろんな問題が起こらずに済むようになるし、

子どもたちも先生とどうでもいいような話もできるようになれば、

気持ち的に満足することが多くて、困った行動もあまり起こさなくなる...

 

子どもたちが、学校で満足して、家に帰れば、

家でもちゃんとすることが多くて、

家族の仲もいい状態が多くなるんじゃないかなぁ...と

 

そうなれば、

子ども時代は良かったなぁと、大人になってそう思えるようになって、

親世代になるころに、自分も子どもと一緒に過ごしたい...

そう思うようになる...きっと。

 

そういう親世代が増えれば、当たり前だけど、少子化はなくなる

 

これには時間が掛かるから、今すぐにでも、

先生を増やして、時間的な余裕をつくる...

その方向の政策を検討して、進めていくべきだと思うし、

それを切に願っています。

 

じゃないと、いろいろやばいと思う...

エアコンの室外機カバー 兼 棚…避難扉前の片付け…

マンションのベランダの端って、非常時に突き破る避難扉になってます…当たり前ですが…(^^;

当たり前過ぎて、これまであまり気にしてなかったのですが…

避難扉には、「ものを置かないでください」という注意書がハッキリ書いてあります…

それに今さらですが、気付いてしまったわけです…orz

それで、

扉がどんな状況だったかと言えば、収納BOXが積み置きされて、明らかに避難を妨げる障害に

当然、それはまずいので、とにかく、

そのBOXたちを立ち退かせる方法を…大袈裟ですが、ただ単に、他のどこに置くか?…を考えなくちゃいけなったわけです…トホホ、そこで、

すぐ側にあるエアコンの室外機の上のスペースを活用する、それを検討することにしました。

室外機については

他所の家なんかで、見た目を良くするための、ちょっとオシャレな木製のカバーが付いているのを見かけます…

確かに見た目はいいのですが、気に入らない点が1つ…それは…

ファンの吐出し口がほぼ塞がれていること…orz、当然、

これはエアコンの効きを悪くするものです。なので…受け入れられない…

そんなこんなで、何かいいアイデアないかなぁ…と、頭をぐるぐると巡らせた結果…

木製ラックに少し手を加えて、カバー 兼 棚をDIYする ことにしました。

ベースにした木製ラックは、ニトリのパインラック(4段)…すぐ下の画像で一番左の棚です。

上の画像の通り、このラックは、

「一番下に水平方向の棚が来るように組み立てなくちゃダメ」で、その注意書があるのですが、

下の棚板無しじゃないと、室外機を覆えない…(^^;

なので、

一番下の棚板を使わないのと、その補強を兼ねて、室外機の吐出し口側にちょっと手を加えることにしました^^

特段、大袈裟なことじゃなく…

使わない1枚の棚板を切り分け

吐出し口の邪魔をしないように補強材として吐出し口上下に2つ配置して、

棚を組み立てました…(^^)

あと、

ベランダっ雨水が流れ安いように床が外向きに傾斜していて、何もしないと棚も傾いちゃうので、足元に残材のスペーサーを入れて調整しました^^

出来上がりは、写真の通りで、

室外機の吐出し側を、板で覆わないので見た目が少々格好悪い気もしますが…(^^;、個人的には、

エアコンの効きの方が優先順位がはるかに高いので、これで良しです…さらに、

避難扉のBOXも棚に片付けることができて、ずっと気になってたモヤモヤがスッキリしました^^

越冬バッタ…まだ啓蟄の日の前で寒かったのに…

先月末…なので、まだ2月末

昼休みに職場近くの小さな神社の境内を歩いてみると…
通路脇のツツジの枝の合間に…ん?

気になる影がある感覚があって、よ~く見ると、保護色でパッとは分からなかったですが…
なんとトノサマバッタ!?

この日は、
最高気温が10度ちょっと、たぶん最低気温は5度以下の一桁のまだ肌寒い日だったのですが、こんな日にひょっこり出てきたみたいです…

間違いなく、越冬したんだと思います

キリギリスなんかが越冬できるのを、子どもと秋に採ったキリギリスが11月まで生きてたときに知ったのですが…実際に見るのは初めてで、ちょっとビックリでした…(^^)

ただ、
まだ出てきたばかりなのか、指で軽くつついても反応は鈍く寝ぼけてる感じでした…(^^;

何れにしても、
まだ啓蟄の日の前で、少し慌てん坊の、でも頑張り屋なバッタに会えて、久し振りに少しワクワクしました^^

僕らよりずっと春がやって来るのを待ってたんだろうなぁ…

 

無駄なネット検索信仰...ご祝儀袋の書き方...orz

なかなか落ち着いた時間がなく...
かなり放置状態ですが,ちょっとした無駄を発見したので...その記憶残し...

知り合いのお祝いにご祝儀袋を準備しています。
こういうことは滅多にないので,
毎度まいど、そのときが来るたびにおろおろする始末...orz
本当に苦手です(^^;)

とにかく、
近くのドラッグストアでご祝儀袋を買ってきて,
いざ書こうとすると,正しくはどう書くんだっけ...いつもそこから...
そして,
いつもの癖で,まずネットで検索,検索,検索...

いくつも書き方を教えてくれるサイトがヒットするのですが、
冠婚葬祭のこの手のマナーを紹介してくれるページって、
何故かどこもかしこも広告でいっぱい...(T T)
本当にとても見難い...

そんないくつかのページをみて、どれも見にくいなぁ...と思いつつ...
ふと、買ってきたご祝儀袋の裏をみると、
書き方がちゃんとシンプルに書いてある^^。

改めて、残念な癖が付いてしまっていることに気づかされました。

豪快に、気持ちよく笑う...ときには意識的に

学生時分から、どちらかといえば、プフフ、ガハハと笑う方で、今でもそれはあまり変わってない...かな。

そのお陰で、勘違いや、思い違いくらいの...
ちょっとしたアクシデント的なことは、大概は可笑しく思えて、思わず笑ってしまってます...(^^)
ひょっとすると周りの中には、それを不謹慎に感じる人がいるかなぁ?...とも思ったりしますが、僕自身は、それを良しとしています^^

そんな話をするのも...

最近、とはいっても、コロナが始まるちょっと前くらいから、
僕の職場は全体的に良くない雰囲気に流されていってる...そんな感じです。コロナ禍になってますます...でしょうか...(^^;)

そんなこと書かなくても...と思ったけど、世の中のニュースやらなんやらを見聞きすると、どこも同じような状況を抱えてる...なら...書いてもいいかなぁ...と

それで職場の話に戻すと、とにかく...

段々と良くない雰囲気が広がっていって...現状を端的に言えば...
シケた雰囲気...で、周りの笑い声を聞くことがめっぽう減ってしまった
...たぶん、かなり重傷...orz

良くない雰囲気の理由,,,これはどこも同じかなぁと思いますが、大きくは...
取捨選択ができない(やらない)と、意思疎通が上手くやれない...です...(^^;)

これはこれで話すネタなんですが、それは別の機会に...で、

そんなこんなで、残念ですが、雰囲気が良くない...ので、個人的には、

個々で話す、いわゆる雑談、無駄話をする...機会を持つ

ようにしています...(^^;)

正直言うと...
わざわざ話をしにいくのって得意じゃなく、緊張してエネルギーも使っちゃうので、あまり好きではない...大体、何をきっかけに話をすればいいん?、わざわざ行くのも億劫だなぁって感じ(^^;)、ですが、それ以上に...
周りのシケた空気の方がもっと嫌い...だったりして、困りものです...orz

で...当然、話をすると、シケた話も出てきます。ただ...

シケた話って、上手くいっていない話が多く...つまり...
誰かが(何かが)上手くやれていない話なので、見方を変えれば、滑稽な話 が多くて、結構、気持ちよく笑えます...笑っています(^^)。

周りの雰囲気が気になるようになったここ1,2年は...特に、
ちょっとしたことも、可笑しく思えることは透かさずガハハ...と笑い、相手の笑いを誘う...そして、笑い飛ばしてスッキリする...

そんなことを、ちょくちょく意識しながら過ごしてます

なんか神経使ってるような感じですが、一旦笑い始めると、純粋に、ただ可笑しがっているんで、間違いなく気持ちはスッキリしていいです^^

まぁ、笑いながら話してれば、ふと、その場を解決するような いいアイデアが浮かんでくることも多い気がしてます^^


また、職場に限らず...

世の中は、コロナ、ウクライナ、広域強盗事件、地震...なんとも言い難い暗〜い出来事が多くで、家でもシケた空気が漂いがちですが...

家では子どもたちと、そんなシケた嫌な出来事を、もう少し酷く茶化す感じで、大いに笑いのネタにできるところはネタにして、ゲラゲラ笑い合って過ごしてます...(^^)

ちょっとしたことで笑えないと、辛いときを乗り越えられなくなっちゃう...と思うから、

あと、
家でのややきつい茶化しは、ちゃんと、外ではダメ...(^^;)的な話もしつつ...
シケた空気を笑い飛ばしちゃってます^^

 

 

 

 

活字離れじゃなく、活字離れしたい...気がする理由...

最近なぜか、本を読みたいという気になれない...orz
あまり良いとは思えませんが、それでも、そんな心境がここ数ヶ月続いてます...(^^;)

まあ、少し時間が経てば、また読む気にもなれるかもしれないけれど、

とにかく...
昨夏コロナにかかったからなのか...?、
周囲の環境によるものなのか...それとも、
歳のせいか...?

いろいろと思うところ、やっぱり周囲の環境のせい?...そんな気がしています。


タイトルにも書いたとおり...
「活字離れ」じゃなくて、「活字離れしたい...」
自分のことなのですが、そんな風に思っているようです。

それについて、取り留めもなく頭をぐるぐると巡らせて思うのは...

文字...文書のほうが適当かもしれませんが、
その 文書が、本来は、
「人同士が、それぞれの思いを伝え、意思疎通をとる」
そのためにあるはずなのに...

最近は、ほとんどが
「人を、なんらかの規範に縛りつける」
そのために多用されている...そんな文書ばかりを目にする...orz

それをやたら強く感じる...間違いなく...


少し前から、ぼんやり考えるのは、
文字にされた言葉や文書...には、
「ある状況や状態、そして、ある時間を経て形成されるものや事を端的に表す

機能が求められていて、その結果、それらは...
「状況的、時間的、空間的...な多くの要素が凝集、圧縮されたもの」

になっている。そして、話し言葉に比べて遙かに
「重くて明確な意味、存在感」を持つ...ってこと。

特に、漢字・ひらがな・カタカナを駆使する日本語は...

だから、
文字にされてしまうと、いろいろと圧縮されているので、
人はそれにかなり捕らわれてします...orz
それが、依頼文や指針みたいなものとして出されると、
受け取る側は、それなりに緊張せざるを得ない...(^^;)

それが、事あるごとにしょっちゅうだったりすると...
かなり嫌気が差してくる...

たぶん、冒頭に書いた
「活字離れしたい」気持ちの理由はそれなんだろうなぁ...


最近は、職場...それに限らずニュースなんかで見る行政の対応...などなど、
至る所で、通達文が乱造乱発されている気がしてます。
少しきつい言い方かもしれませんが、小物感満載です...(^^;)

コロナ禍...それより少し前から、この流れは強くなっていて、

ここ最近、
小物緩満載の事件(強盗や殺人)が多いのも...
そういうことが少なからず関係している...きっと。

今は、文字化、文書化すると、白黒はっきりさせた...的な
感覚をみんなが持ってしまってて…

さらに拍車をかけているのが…
やっぱり、SNSな気がする…(^^;

会わずに文字だけで思いを伝えようとするわけで、しかも、文字数に限りがあったり…そうなると…

みんな無意識に、

発信するときは、一言に色んな思いや情報を詰め込んだ気になって

受けとるときは、その言葉を見た目以上に、重い意味があるように受け取りがちになっちゃう…(^^;

お互い顔をみればそんなことはないんだろうけど…

 

それ以前に戻すのは簡単ではないけれど...とにかく、ポストコロナで、顔を合わせてコミュニケーションをとるようになればいいかなぁ…(^^)

あと、

仕事や行政なんかでも、あと教育の場もかな… もっと上手い方法を考える時期なんじゃないかなぁ...
文書に頼らない物事の決め方とか...

たとえば、
会議(話し合い)のあり方とか、文書化せずにそこで決める...とか(個人的には、会議って、明文化されたもので決められないものを話し合う場だと思ってる)

じゃないと、
これからの若い人たちが伸び伸びできなくなるよなぁ...

 

「活字離れしたい」と言いながら、これ(活字)を書いていて、矛盾してる...ように見えますが、なかなか文章が上手く書けず 四苦八苦しています...(^^;)

本もちょっと読まなくちゃ...とも