考える虫のつぶやき

こうやって生きたらいいのに を探して、物の見方、考え方について、あれこれと思うままに書いています。なぜか夜中ばかりの投稿ですが…

やたらとPCR検査できない方が感染抑制になって、GoToできる?

一昨日の朝だったかな?、
通勤中、車のラジオを聞いてると、コロナのPCR検査の話をやっていた。

ゲストの専門家の意見として、
「無闇に検査することは意味がない」との意見が紹介されていて、

その意見に対して、
「十分検査をしないと活動ができないのでは?」
という主旨のやや批判的な視聴者の声が多く届いていて、それに丁寧に答えていた。

PCRの検査で分かるのは、
そのとき感染してるかしてないかだけ
で、もし陰性だったとしても、それ以降が安全ということにならないらしい。

なので、次の日、混雑してるようなところに行って、感染することだって当然あり得るということみたい

おそらく、
その専門家の発言の意図、つまり、心配しているのは、
PCR検査で陰性 → 自由に行動しかねない → 感染拡大」 なのかなぁと...、逆に、

「検査を受けられない → 分からず不安なので慎重に行動する → 感染抑制」

となるはずなので、もし、
みんながそれくらい慎重に行動してくれれば、今、やっている
「Go To キャンペーン」 も続けられる
ということなのかもしれない。

それ以外にも、検査数をやたらと増やすのは、
保健所や、医療関係に余計な負荷を掛けることにもなるからだろうけど...、

と書きながら、気付いたことだけど、

検査結果が陰性で、自由に行動できるって、検査する側の犠牲(不自由)の上に成り立っていると考えると、
ちょっと複雑な気持ちです。
(仕事なら仕方ないけれど...)

日本学術会議と学問の自由との関係って何?

さて、よく分からないのに書いていいのか?と思いつつ、疑問に思うことを書いています。

ニュースにある通り、
日本学術会議が推薦した会員候補の一部(6名)を、政府が任命拒否 し、大きな話題になっている。

それらの抗議声明の中に、
「政府の介入は、学問の自由を侵害する」
というのがあるけど、それが何故かが、よく分からない。

もし、
「任命されなければ、その学問が出来なくなる」 なら理解できるけれど、そうではないらしい

もしそうなら、
学術会議の会員になるために、学問をやっているんだろうか?
と、思ってしまう...

おそらく、
政府に対して都合の悪い意見をいう人が排除される、言わなくなる ことが、どうも、「学問の自由を奪う」ことになるらしいが、正直、しっくりは来ない。

これまでに、
政府がやろうとすることに反対意見は沢山あっても、
やろうとする学問を、政府がやめさせようとする話は聞かない

(それこそ大騒ぎになるはず)
だから、
何でそういう批判になるんだろう? って思う。


あと、
この会議の会員の選考方法を、ネットで調べると、

2005年までは、
各学協会からの推薦だった のが、
2005年以降は、
現会員による後任推薦になった そうだ。
(その分野のみんなの総意ではなくなっている)

だから、
ある意図を持った組織が、一度でも会員になる権利を得れば、ずっと繋げられて減ることはない。増えることはあっても...だから、怖いと思う。


そんな選考制度だと、誰だって、バランスのいい選考は難しいと思うんじゃないんかなぁ...?

しかも、
学術会議に、政府が10億円を支払っているので、もし、何か調べた結果、何らかの偏りが強かったり、極端な傾向があるような候補だったら、政府が拒否したいのは、分かる気がする。


そう考えると、結局、
誰もが知っていそうな、強く印象付けられる言葉として、「学問の自由」を使っている ように見える。

もし、そうなら普通の多くの人をバカにしていると思う。


それと、
今まで「学問の自由」に対する活動なんか見たことがない一部野党が、あれだけ激しく批判することにも、正直、違和感を感じるし、自分たちのために利用しているようにしか見えない。


とにかく、最近は、
バランス感覚に欠けた、批判や議論を吹っ掛ける人が多いのが、とても気になります。


さて、学術会議ですが、
政府に拒否されない、頼りにされる会議であって欲しい と思っています。
そして、
会員候補の選考方法くらいは見直した方がいい ように感じます。

さて、
諸外国にも、同じ学術会議なるものがあるらしいけど、どうやっているんだろう...?、あと、
これを「学問の自由」と結び付けて批判したりするんだろうか...?

世界ではこうだから...に合わせなくてもいいんじゃない?

色んなことで言えることだけど、

「世界ではこうだから...日本も...」

ってのが、よくあります。

これって、結構、僕ら日本人を疲れさせている ことが多い気がします。

最近だと、BLMがいい例で、
アメリカではあれだけの抗議行動があったりしてるのに、日本は...」
的な言われ方をされてるように感じます。でも、
アメリカの差別の実態を見ると、日本からすると、異次元の激しい差別があっています。(人の命がなくなります)

あの抗議行動の激しさは、差別の実態に比例しているだけ で、
決して、差別問題への対応が進んでいる訳ではなく、それにあった対応があるだけ な気がします。それで、

アメリカ人のようにもっと高い意識を~」なんて言われると、気にし過ぎて何も出来なくなってしまう。


その他の身近な例では、
コロナ禍への対応で、GoToキャンペーンなんかも、
「外国を例に、一度、規制を解除したところが再び大きく感染者が増えてるから、時期早々で止めるべきだ」
的な声が当初多かったように思う。けれど、
そのときの、外国での解除されたみんなの様子は、これまた日本人では考えられない、
「マスクはしないわ、スキンシップは普通にやってそうだわ」 で、
感染者が増えない方がおかしい 光景でした。

今日、GoToキャンペーンのニュースで、インタビューされてた人たちは、みんなちゃんとマスクをしていて、
これ以上、「外国は~」って、不安を与えることに何の意味があるんかなぁと、つくづく思いました。


とにかく、
「世界では~」ってやつに、日本人に当てはまらないことって、かなり多くて、そういう場合は、バンバン、
世界と日本、ダブルスタンダードな対応でいい と思う。

そして、
ちゃんと日本人にあった、言い方や、方法等々 を考えて、提供していくべき だと思う。


世界は、みんな結構違うんで、
何でも合わそうとする必要はなく、合わさなくても大丈夫
、きっと。


日本人のいかんところは、
周りに合わせようとし過ぎる
ところ、その範囲を世界に広げると、みんな息苦しくて、耐えられない。


十人十色って、言葉もあるんだから...

子どもの気持ち...逃げ場が小さい、小さな家族...

子どもにとって、お母さん、お父さんはとてつもなく大切な存在だと思う。

その大切さは、子どもが感じる親の影響力でもあるように思う。

そして、それは
家族の大きさが、小さいほど大きくなってしまう

大きな家族なら、色んな人がいて、逃げ場があるけど、

小さい家族は、親だけが頼りになって、逃げたいときにだって、逃げられない


それでも、
子どもは親を大切な人と思うから、
どんな状況も、受け入れようと頑張っている。必死に...

そんな子どもを見たら、
「そんなに頑張らなくてもいいからね」
って、言ってあげたい。

わかりやすいリアクションが出来ず、淡々と受けちゃう理由...

さて、タイトルに書いたのは、僕自身のことです。

周囲の人の行動や、出来事に対して、それほどハッキリしたリアクションを取れずに、淡々と受けてしまう...orz
大袈裟に驚いたり、激しく怒ったり...せずに...

でも、分かってもらいたいのは、
感情がなかったり、希薄というわけではない
ということです。

じゃあ、
なぜ表情に出さない、出ないのか?となっちゃうと思うのですが、
単に、遭遇した瞬間に、
そういうことも起こり得るってことが、分かっているから、想像できるから
という判断が、頭の中で下されてしまう
からです。

もう少し、説明すると、

普段から、
色んなことを考えてしまう癖があると

何かが起こっても、
無意識に、
それについて考えたことがあったり、
それに近いことが、思い浮かんでしまっている

たぶんだけど、思うところは、

感嘆するって、その瞬間に考えられるものがない(状況にない)から、そういう反応になって、

考えられるものがあると、そっちが頭の中で優先されて、その状態は、感嘆の表情にならないのでは?
ってことです。

そう、実は、
考えてしまうということは、何か起きたことに対して、ものすご~く、反応した結果(感嘆するよりも!)
と言えるのでは?、と個人的には都合がよいですが、そう思ったりします(^-^;。

でも、
淡々とした雰囲気は、受け手の本能的な共感を呼べず、残念な人にしか見えないかなぁ...、

だけど、そうじゃなくって、
いろいろと考えを巡らせてしまうほど、強く反応した結果かもしれない!?と、ちょっとでも思ってもらえると、嬉しいかも(^o^)

トランプ大統領は、潜在的な問題を、顕在化させてるだけでは...

この前、仕事で移動中に、トランプ大統領の話になった。

今度の大統領選が、どうなるか? から始まって、よくあるように、
トランプさんはメチャクチャでやっぱり大変そうだ(色んな意味で)等々...、が話題になった。

個人的には、

トランプ大統領は、
「今まで、なぁなぁで先送りにして、溜まりに溜まった膿を、一切合切吐き出させているだけ」
なのかなぁと感じています。

その結果として、
ここ最近の BLM などの人種差別問題、アメリカの中国、ロシアとの摩擦、国連やWHOなどの国際機関の弱体化、世界各地の格差・移民問題
などなど、様々な問題が表出している。

トランプ大統領は、
これらの問題をズケズケと公にして、関係する国々や人たちをダイレクトに批判し、場合によっては、強硬な手段に出る
ただ、残念な点は、事態をエスカレートさせてしまうことですが...

でも、よく考えると、これらの問題の多くは、
トランプ大統領が作り出したものじゃなく、すでにくすぶっていた潜在的な問題だった
ということです。

彼は、それらについて、これまで不満に思っていたことをただ正直に発言し、
「じゃあ、こうするわ!」って行動に移してるだけのように思う。
そのお陰で、
大きく社会問題化することが出来たと考えることもできます。

例えば、
BLMの問題、あの暴行事件をきっかけに、今は色んな人がデモや抗議行動をして、誰もが知り、考えるような状況が醸成されつつあるけれど、

トランプさんが、大統領にならなかったら、これほど大きな現象にはならなかったように思う。

また、
中国の海洋進出や世界の覇権を目指すような動向も、
日本は隣国だからひしひしと感じても、世界の反応が今一つ鈍く見えていたのが、
トランプ大統領によって、一気に世界を巻き込みつつあります。

この問題も、ずっと懸念されてはいたはけれど、どうにもできず今まできた問題だったと思う...


確かに、
彼のやり方は、極端で紳士的ではないとは思うけれど、
そのハッキリした物言いや態度は、
これまで先送りにして重い腰を上げられなかった私たちを強引に巻き込み、次の新しい形をつくるきっかけになっている
と言えるかもしれない。
(ただ、彼が過激過ぎて、冷静な議論ができず、新しい形になり辛いですが...orz)

実際は、アメリカ大統領なので、米国民が...ですが、
みんなが表に出せず溜め込んでいた不満や問題意識が、トランプ大統領 を召喚した ように見えてしまう。

そんな風に考えていくと、
色んな形で、呆れられたり、批判されたりしてるけど、それは彼だけが受けるべきものじゃないように思えてくる。

それは、
みんなが、みんなに呆れられ、批判されている、痛々しい状況 だから、


結果はどうであれ、そこまでして、
抱えていた問題を、大きなムーブメントにするきっかけを得たのだから、
それを生かさない手はないと思う。

新しい世界へのシフトを余儀なくされているような気がする。

いずれにしても、トランプさんが、
歴史に残るアメリカ大統領になる ことは間違いないかもしれない。

さて、今日は、
アメリカ大統領選挙の第1回の討論会があって、リアルタイムには見られなかったけど、ニュースを掻い摘まんで見る限り、かなり酷かったらしい。
CNNだったかな?、「負けたのはアメリカ国民だ」と書かれていて、ちょっと吹き出してしまった。

あと、一月ちょいで、どんな結果になるか...、楽しみです。

接し方で相手も変わってくる?...自分の中の嫌ったり、怖がったり

色んな人と関わっていると、時には、高圧的だったり、陰湿だったりして、ちょっと嫌だなぁって、気になってしまう人がいます。

できれば、距離を置いたり、関わらないのがいいのですが、それが出来ないことも、残念ながらあります ...orz

ただ、
あまりにも酷い人の場合は、とっとと関わりを絶つしかないかなぁ...(-_-;)

さて、
話は戻りますが、ちょっと気になってしまう人と接する時に、普段意識していること があります。

僕自身が、
「人がどうして、そんな(気になる)行動をとるのか」を知りたいタイプだからかもしれませんが、そういう人と接する時は、


「その人がどんな環境で育って来たのか」を想像しています。
ある程度の歳になったからでしょうか、なんとなく、
「こんなだっただろうなぁ」
は想像できているように思っています。

想像できると言っても、
全くのさらからじゃなく、
その人の行動や所作から、ぼんやり分かって、本人や周りの人からの断片的な情報で裏付けていくといった感じです...

そうやっていくと、やはり、
最初に話したような
気になる人は、
「家族とか、学校とか、大変だったろうなぁ」と思えることが多いかな

「だから、今、そんな風に振る舞ってしまうんだなぁ」って、今に繋がって納得してしまうことが多いです。

結局、そうなると、
はじめに抱いていた、嫌だなぁって思いも弱くなるし、
その生い立ちがなんとなく分かれば、接し方も、それに合わせる感じでできて
(す~っと入っていく感じ)、
相手もなんとなく受け入れてしまうことが多い ように思います。

まあ、とにかく、
相手のことがある程度理解できれば、
無闇に嫌ったり、怖がったりはなくなるので、相手にそれを意識されることはなくなる
し、それで、
相手が理解してもらえてるかなぁと、少しでも思ってもらえれば、
相手の態度は、無条件にとは言いませんが、やや好意的になってくる、つまり、
相手の行動も、実は、こちらの接し方で変えられるなぁ」 、そう思っています。

子どものころは、少々癖のあるクラスメイトともちゃんとやれる方でしたが、
(今思うと、そういう風に組まされたりしていたのかもしれませんが...)
それは、
来るものは拒まずタイプで、変に毛嫌いする雰囲気もなく、ちょっと面倒見が良かった、結局、
嫌ったり、怖がったりするのがなかったことが良かったんだろう と、今思うとそう思えます。


そして、
子どもの頃は、そういうことを、何も考えずに出来てたなぁ...orz
単純だったからだろうけど...、
(あの時の、純粋さや素直さ、やっぱり減っちゃってるなぁ、きっと...(-_-;))

なので、その当時、
そういうことを気にさせないようにしてくれた両親 には、とても感謝しています。