考える虫のつぶやき

こうやって生きたらいいのに を探して、物の見方、考え方について、あれこれと思うままに書いています。なぜか夜中ばかりの投稿ですが…

多様性への理解や寛容って,学校なんかの全員一律的な場で体験的に学んだ気がする...

ネットのニュースで,小学校の「登校班」の廃止、継続の話題があった...

いろんな家庭の事情で、賛否両論なのは当然ですが、その記事は、「全員一律の扱い」が軋轢を生んでいて、「違い」を前提にした見直しを...的に締めくくられてました...(^^;)

その締めくくりを除けば,共働き世帯が多いなど,様々な家庭の事情が...で内容的には、継続が難しいのもしかたないのかなぁ...となるのですが...

気になるのは、やはり締めくくり...orz、そこからダラダラと思ってしまったことを書いています...(^^;)

僕の住んでる地域は,子供らが小学校のときの話ですが...,
新入生が入った時期と各月の始めの日だけ集団登校になっていました...一応,上級生で班長,副班長が決まっていて,決められた集合時間までは待って,時間になったら出発...と、そんな感じだったようです。

子どもの話を聞くと、誰々君は、よく間に合わないとか、誰々ちゃんは副班長なのにほとんど来ない...なんかの話がしょっちゅうでした^^

今思えば...、
そういう集団的な出来事で、子どもらは、「色んな人がいる」ってことを体験的に学んでたなぁ...と、そんな風に考えると普通に...、

「運動会」や「文化祭」みたいなクラスみんなが協力してやるイベントも、ガンガンにやる友だちもいれば、ダラダラとあまりやらない友だちも...要は...、
色んな友だちがいて、その彼らとの活動を通して、「色んな人」を知っていくし、共通の一つの活動を通して、人それぞれの付き合い方も学んでる...
そんな気がします。

上の子は一人暮らしで、今はもっぱら下の娘との話ばかりですが、彼女は、色んな友だちの話をしてくれます...、
下の娘の話を聞いていると、色んな事情を抱えた友だちがいそうだなぁ...ってよく感じます。そのときには...、

なるべく、その友だちの家(家族)ではこんな環境なのかもね...的な事情を一緒に考えながらの話をする ようにしています...そうすることで...、
ただ単に「ちょっと嫌かも」的な気持ちも、「そんな事情だったらしかたないかも...」になるかもしれない...と。

僕自身、たぶんですが、周りの人に比べると、個々に関わるという点では、何か悩みを抱えている人など、関われるタイプは幅広いみたい...です(^^;)

それも、今思えば...、
育った小中学校の環境が大きかった...気がします...(^^;)

特に中学校は、公立中学で地域でも評判は悪かったですが、お陰で、それこそ色んな人がいました...いい人から、悪いと言われる人まで幅広く...それが一所にいる...なので...、

色んな人がいることも体験的に知れたし、それぞれに色んな事情を抱えていることも知れた気がします^^、逆に...、

高校は運良く、いわゆる進学校 に入ることが出来たのですが、そこで感じたのは...、「なんとみんな理解がよく、話が通じやすいんだろう」...でした。裏を返せば、近い価値観の人たちが集まっていたんだなぁ...と。
これで良かったのは、

「より良い方向にみんなガンガン進む」ってことです、これは中学校ではなかったかな...?、そんな友だちがいる学校のお陰で、高い教養を身につける習慣は、やはりこの時期に着いたかなって思っています^^、でも、

多様性への理解...という点に関しては、高校よりも圧倒的に中学校のお陰だった...それは強く感じます...

ちょっと話は長くなってしまいましたが...、

何かを「全員が一緒になってやる」、特に、小中学校のようなまだ受験で階層分けされていないような環境で、色んな人と一緒に一つの活動を経験する...、
これって、多様性への理解や寛容という意味で、ものすごく大切なこと じゃない...それを強く思います(^^)

逆に...、

それを「極端に」避けるようになっちゃう...と、何も知る機会がなくて、ちょっとでも自分とは違うことに違和感や嫌悪感を感じてしまう ようになっちゃって、多様性を損なう結果になってしまう...気がします。

何かと多様性が叫ばれる今、「自分を理解してくれない」的なことを、よく見聞きする気がしますが、実際は「そんなに自分のことなんて(自分が思うように)理解されるもんじゃない」「でも、ここくらいは分かってくれてそう...」くらいなのが当たり前のはず...じゃないのかなぁ...、そして、

「そういうことが当たり前なんだ」...って感覚を、あまりにも体験的に学べずに持てていない...そういう機会を避けすぎている...ことが、今の多様性に対する違和感を感じる考え方...の背景にあるように思います。

そういう意味で、色んな友だちが一緒になろうとする 登校班も、多様性への理解を育むという点でも意味がある...んじゃないのかな。


あと、うちの地域は、年配の方々が誘導員としていつも立ってくださっていて、子どもたちも安心して登校できています。これには本当に感謝です^^

そんなこんなを、だらだらと考えて、長々としたことを書いてしまいました...orz