考える虫のつぶやき

こうやって生きたらいいのに を探して、物の見方、考え方について、あれこれと思うままに書いています。なぜか夜中ばかりの投稿ですが…

ただ王道あるのみ...論語と算段...組織運営は規則やルールより思いやりで^^

また、途中放棄して読みはじめた論語と算段」渋沢栄一 著(角川文庫)...からの話です。すみません...

この前のお困りごとは、仕事の向き合い方でしたが、今回は、組織運営のあり方で、これまた今を映したかのような内容だったので...つい...

あまり、著書の内容を使って書くのは...と思うのですが...(^^;)


その論語と算段」の中で、
「ただ王道あるのみ」って話があって、そこには直接、組織運営なんて書いてないのですが,今の色んな組織運営の問題に関係して、特に、管理者側の在り方について、なるほどなぁ...って話がありました。

特に前半ですが、最近多いと感じる 何でもルールや規則を作って...に対する戒め的な内容です...、そんなことの前にお互いにコミュニケーションをとって、思いやりを持ってやった方がいい...よね^^...って、まさにその通りって話でした。

あと、原文は、当時を反映して、国家とか、富国強兵なんかの言葉がでてきますが、ピンと来ないので、社会とか、豊かな社会 に勝手に置き換えてます(^^;)

自分が読みやすいよう、前回同様、ラフな感じになんとなく書いてみました^^(多少の間違いはご勘弁ください...(^^;))


以下、その内容です...

「常日頃、思うのは、社会問題とか労働問題などは、単純に法律の力だけに頼っても解決されるものじゃない。例えば、家族一つにしても、親子、兄弟、親族などなど、それぞれが権利と義務を主張して、一つひとつ法律で決着しようとすると、人情は自ずから険悪になって、お互いに壁ができて、何かある度に嫌悪な衝突沙汰ばかりが起きて、家族仲良く団欒なんかはほとんど望めない。

富豪と貧しい人たちとの関係も、これと似た同じだと思う。資本家と労働者との間は、これまでは家族的な関係で成立してきたものだったのに、急にルールを作り、これだけで取り締まろうとするのは、一見、もっともらしい考えなんだろうけど、これを実際にやってみて、結果的にルールを作った側の理想通りにいくだろうか。長い月日の関係から資本家と労働者との間に、折角できた結びつきの中で、言葉では上手く言えない一種の情愛も、ルールを作り両者の権利と義務を明らかに主張するようになると、当然、隔たりができてしまわないだろうか。もしそうなってしまうと、管理者側が苦労した甲斐もないし、目的にも反することになるだろうから、この点は、最も注意深く考慮しなければならないと思う。

私の希望を言えば、ルールを作るのはよいけれど、ルールを作ったからといって、否応なしにそのルールにかけて決めてしまおうとするのは、できるならしなようにしたい。もし、富豪も貧しい人らも王道(徳でもって物事を治める)的な考えを持って、つまり、人としてあるべき振る舞いの規範を身につけて社会で生きていくなら、百の法や千の規則があるよりも遙かに勝っている。別の言い方をすると、資本家は王道を持って労働者に、労働者もまた王道を持って資本家に向き合って、お互いが関係する事業の利害や得失がお互いに共通していることを理解して、お互いに思いやりを持つことを始めから終わりまで心掛ければ、本当の調和が得られる。両者がこのようになってしまえば、権利や義務への意識などは、無駄に両者の感情を隔てる以外、ほとんど何の効果もないと言っていいと思う。

私が前に欧米を訪れた際、実際に見たドイツの会社や、アメリカの時計会社はとても家族的で、両者の間は和気藹々としていて、その様子にとても感心してしまった。これこそ自分が思い描く王道の円熟したもので、こうなれば法を作ったとしても、いい意味でその法はただの役に立たない文で終わってしまう。結果として、このような状況が作れれば、労働問題も何も気にすることもないじゃないか。
それなのに、社会にはこれらの点に深い注意も払わず、何も考えずに貧富の隔たりを引き直そうと願う人たちがいたりする。ただ、貧富の隔たりは、その程度こそ違いはあっても、いつの時代も、必ず存在してしまうものである。当然、みんなが豊かになることは望ましいけど、人には才能も含め、いろいろと違いがあって、誰もが同じように豊かになることはなかなか望めない。なので、富の分配や平均などは、考えても難しいのが現実です。つまり、豊かな者がいるから貧しい者がいるというような論理で、みんなこぞって富める人を排斥してしまうと、どうやって社会を豊かにすることができるだろうか。個人の富は、巡り巡って、社会の富です。個人が富を得ようとするのではなくして、どうやって豊かな社会ができるだろう、社会を豊にして自分も出世したいと思うから、人は毎日一生懸命になれる。その結果、貧富の隔たりが出来てしまうのなら、それは残念ながら仕方のないことであって、人間社会の逃れられないものとして諦めざるを得ない。

そうは言っても、常に、その関係が円満になるよう両者の調和が取れるように意識することは、見識のある者として1日も欠かさない覚悟でいます。これを自然の成り行きに任せ、人間社会の性だからと、そのまま放置しておくと、いつかとんでもない大事になってしまうのは、当然です。なので、災いを未然に防ぐことを考え、うまく王道を持って何ごとも良くしようと意識することを心から願っています。」

 

余談ですが、さらに少し読み進めていくと、渋沢栄一が、キリスト教や仏教ではなく、論語を拠り所にしてる話 があって、その理由は、論語の中には、奇跡がない からだそうです^^(「仁に当たっては師に譲らず」より)。
ほんと素敵です。会ってみたかった...(^^)