考える虫のつぶやき

こうやって生きたらいいのに を探して、物の見方、考え方について、あれこれと思うままに書いています。なぜか夜中ばかりの投稿ですが…

今の過度な人権教育って逆効果じゃない?...長い意味で人権を脅かしてる気が...

先日、下の子を乗せてツタヤ系の古本屋に行きました。本屋と言っても小説とかではなく、漫画の物色です(^^)

家でも結構話をしますが、そんな車の移動中もよく話をします。
よく出てくる話題は、やっぱり学校ネタで、友だちのこと、勉強のこと...などなど。

もうすぐ夏休みも終わり学校が始まるせいか、「嫌だなぁ〜」と言ったりしてます...(^^;)、そんな話をすることで少しずつ学校が始まることを自分自身に納得させていってる...そんな風に見えます^^

学校の話題の中で、ちょくちょく出てくるのが、人権や平和学習の話。地域性もあるのかどうか分かりませんが、彼女の話を聞いていると、学校でやってる人権、平和学習は、ちょっとクドい...そんな印象です(^^;)

ついこの前まで小学生でしたが、小学校でも似たような感じで、結構自分で考えて話せるようになった高学年のときから、似たような話題と愚痴がたびたび出てきてます^^

車の中で話したときに...、ひょっとすると
「人権学習のやり過ぎが、人権侵害になっちゃってるかもね...?」、そんな一言が出てきたので、ここにちょっと書いてみてます。

こんなことを言っているんで、人権や平和学習に真剣じゃなく、蔑ろにしてる...って思わそうだけど、下の子は(僕も?)全くそんなことはない...はず?です。
日頃ちゃんと考えてるからこそ、家での普段の会話にも、そんな話題が出てくる...んだと思っています^^

で、その人権学習のクドさというのは...

「いじめはだめ」「仲間はずれはだめ」「人を傷つけたらだめ」「差別はだめ」などについて、これでもか、あれでもか...ってくらい色んな事例を取り上げ繰り出し、機会があるごとに繰り返し、繰り返し・・・、その学習が行われる...、
それに加えて...
授業参観に行くと、教室だけじゃなく、廊下や階段の壁にも、それに関わる啓発の掲示物や、学生が描いたポスター、そして、習字の作品や作文だったりも貼られている(^^;)

いじめのポスターなんかは、当然、いじめられる子が怯えてたり、暗く小さくなっている感じや、いじめる側が複数でよってたかっての怖い感じだったりで、どれもとても暗い印象で、見てると、暗く嫌だなぁ...って気持ちになります...

彼女らは、それを毎日見るわけです。そんなので、
「生きる楽しさ」なんて学べるはずはなく...

つまり...
今の過度な人権教育って、悪いところばかり目が行き過ぎて、

「生きる辛さや怖さばかりを植え付けている」...ってことになってないかなぁ...と、

さらに心配なのは...
そういうのが実はストレスになっていて、悪い方向に流れた結果、人を傷つけたり(場合によっては自分を)、誰かを仲間はずれにしたり...ってことになるんじゃないのかなぁ...と

そもそも、
「生きる楽しさよりも、生きづらさや生きる怖さ」が強く植え付けられちゃうと、他人に傷つけられる以前に、自分自身が生きるのに臆病になって、「社会において幸福な生活を営めなくなっちゃう」...んじゃないのかなぁ...と

それって、長い目で見ると「人権」を脅かしてる...

僕も彼女も...そう思ったわけです^^。


中学生は、色んなことが分かるので、具体的な事例を使ってちょっと高度な学習...もありだと思うけど...

小学生は、「みんな仲良く楽しく」とか、「一人ぼっちで寂しそうにしてたら声を掛けて遊ぼう」とか、「困ってる友だちがいたら助けよう」とか、そんな前向きで楽しい内容でいい のになぁ...

あと、前もどこかで書いたかもですが...
「生きづらさや生きる怖さ」が意識され過ぎな中で、子どもが欲しいなんて思いにくい...
やっぱり、「生きるのって大変だけど楽しいね」くらいにはならないとね...(^^)