考える虫のつぶやき

こうやって生きたらいいのに を探して、物の見方、考え方について、あれこれと思うままに書いています。なぜか夜中ばかりの投稿ですが…

誰かのために空いてる時間を持つ仕事…それが先生のはずだけど…

先生って、昔と違っておおらかでいられるような仕事じゃなくなった…そんな気がします。

そして、
これが今の学校が抱えている問題の、最大の理由なんじゃないのか…そう思うのです。
特に、いじめの問題とか…

家での子育てもそうですが、僕が
大事にしているのは、「そばにいる、ただ見ている…」、そんな状況(時間)を持つ ことです。

端から見ると、
「何もしてない…楽そう…」、そんな風に見えるんだろうけど…(^^;

でも、そうすることで、

「子どもの素に近い情報(状態)を知る」 ことができます。

先生に必要な技術的な能力で、大切なのは、
「伝える力」と「観察する力」
だと思っています。
(熱心さや、優しさ寛容さなんかは別にして)

伝える力は、いろんなところで鍛えることができます。今は色んな機会や情報もあるので…
(ただ最近気になるのは、その力が持て囃され過ぎてることですね…orz)。

あと、伝える力は、
先生から子どもへのアウトプット
のための能力
とも言えるかな…

そして、もう一方の、
子どもから先生へインプットするための能力 と言える、
「観察する力」は、そう簡単には身に付かない
それを説明するのって難しいのですが、経験的なことを言えば、
そういうことが習慣付いている人に逢ったことは、本当に稀…だからです。

たぶん、
「観察する力」は、
それなりに意識してやらなくちゃ身に付かないし、
日常でも、それなりに観察する時間を使って発揮できるもの

そういう能力なのです。きっと…

つまり、

「観察する力」には、

端から見て、
「暇そうで、空いた時間」、
それこそが必要で、大切。

そうなる訳です。間違いなく…


でも、実際のところは、色んなニュースや特集で取り上げられてるように、

先生たちは、通常の時間割上の仕事(準備も含め)のほかに、色んな事務的業務や、クラブ活動の指導などの仕事もあって…、最近ではブラックな仕事と言われるほどに…orz

さらに、今の風潮として、
「観察するような時間が許されない…orz」、そんな雰囲気がある。

なぜ、それが問題かといえば、
その雰囲気が、文科省や学校の上部組織の役人をビビらせ、学校への不必要な(責任回避の)事務的な仕事を作る。そんな流れができるからです。
今は、そんな仕事で溢れています…orz

観察って、余裕がなくちゃできないことで、
今の多忙で余裕のない先生にはとても無理な話です。したくてもできない…というのが実情じゃないでしょうか…きっと。

長々書いてしまいましたが、とにかく、

今、本当に必要なのは、
外野からは一見、
「空いて暇そうに見える、先生たちの時間」

です。

「空いてる時間」を心配する人がいるかもしれませんが、
「より授業の準備を充実させたり」という風になるはずなので、あまり心配はないと思うし、

子どもたちにとっても、
「少し時間に余裕のある先生の雰囲気は、話し掛けやすいはず」
なので、
観察だけじゃなく、さらに、子どもたちからの情報が得られやすくなって、

「いろんな問題を早く察知できて、解決できるようになる」

そんないい流れができると思うし、そうなって欲しいと心底思っています。


明日は衆院選投票日ですが、
次の政府には、そういう政策を 是非やって欲しい。