考える虫のつぶやき

こうやって生きたらいいのに を探して、物の見方、考え方について、あれこれと思うままに書いています。なぜか夜中ばかりの投稿ですが…

上に立つ人はこうあって欲しい...昔の人と今の人

組織の中にいると、それをまとめる○○長と呼ばれる上に立つ人がいて、

その立場にある人は、残念ながら、世代ごとに、段々と脆弱になっているように感じています。

これまでに、「やっぱり凄いなぁ」と感じたのは、戦前生まれの人たちです。

まず、
年の割りにパワフルなのが一点、
そして、
考えの基本にあるものが、
「自分の組織や関わる分野を、この先、どう存続・発展させていくか」

ということです。

そのために、
・部下の面倒を見るし、
・活躍できる機会を提供し、
・新しい繋がりを作る
ということを、自ら発想し、実行していきます。

例えば、
上部組織で何らかの規則ができ、
これまでの活動が制約され得る場合も、

これまでのように、関係する組織を上手く回すために、
1つ1つ必要に応じて交渉したりして、制約を回避または代替案を引き出すなど、できる手だて講じて前に進みます。

ゴリゴリと進んでいく感じで...

規則を回避しようとする時点で、
自分のためじゃなく
、敢えて言えば、
「自らを犠牲にして...」「自分が責任を取るから」って感じの行動です。

それとは対照的に、

今の上に立つ管理職の人たちに足らないと感じるのは、特に、この部分で、

上部で決まった規則に忠実で、それに努めることです。なので、

あくまでも、
見ている方向は上、まては、その規則を管轄する行政だったりで、関係する組織や部下ではありません。

そして、裏を返せば、
自分で責任は取りたくない
とも感じられます。その結果、

何かと規則を盾にしてしまう。
つまり、
それで何とか組織を運営しようとする。

今、世の中全般に、
「生き辛さ、窮屈さ」を感じるのは、これがかなり大きいのでは?...と

人は結局のところ、動物なので、
規則なんかよりも、「お互いの関係の安心感(信頼感)」が、ものすごく重要で、

「この人達なら、任せられる」
とか、
「この人達は、こっちを見てくれている、考えてくれている」
と感じられれば、いいんだけど、

実際は、
「この人達は、どこ見てるんだろう?」
とか、
「この人達は、一体、誰のために?、ひょっとして、自分達のためだけ?」
と感じることが多くて、そこから、

こちらを支えてくれるといった、安心感がなく、常に、拠り所のない不安を抱えた状態で、「生き辛さや、窮屈さ」になっているのかなぁ...と

あと、
今の上に立つ人たちから感じられないのは、
「組織にいる人たちを引っ張り上げようという意識」かなぁ...

なので、
何をやらせるにも、規則やルールで決まってるからを理由にしてやらせるだけに見える。

もう少し、最初の取っ掛かりくらい、
一緒にやって、少し流れができ始めるまで、フォローすればいいのに...と思うことが良くあるけれど...

個人的には、

部下や後進に指導するときは、
感覚的な説明になるけど、

「正面に対峙して」じゃなく、
「一緒に並んで並走して」(目の不自由なランナーの伴走者のように)、
やらせていって、流れができ始めたら任せることが効果的

だと思っているけど...、

今は、そんな風にやれる人は、極たまにしかいない気がします...orz


こうやって考えていくと、

規則やルールを作れば作るほど、
人間(動物)らしさが失われていって、

互いの繋がりや信頼感が作れなくなっている
ように感じるので、

いっそのこと、
規則やルールをなくしたり、減らせばいいのに、と真剣に思ったりします。

それに頼らない分、相手のことを考えるようになるはず だから...

あと、
こういう世代の違いは、大きくは、
戦前生まれ→団塊の世代団塊Jrの世代
に分けられると思っていて、

今は、団塊Jrになりつつあるのかな...?

団塊世代は、
戦後直後で、ちゃんと面倒見られなかったのと、
急に自由や個人主義なんかが奨励されるようになって、
「みんなで!」って、感覚が薄くなったかなぁ...と、

団塊Jr世代(僕はこれに近い世代)は、
ある程度、社会は安定していて、
受験戦争なんてのがあったけど、それには、ちゃんとしたノウハウがあって、
そのノウハウを卒なく熟せることを鍛えられ始めた世代かなぁ...
なので、
ルールを決めて、マニュアル化されたものを処理するのが得意、だけど、自分で何か考えてやっていくのが、昔の人と比べると、ちょっと苦手になってるのかなぁ...と感じています。


なんとなく、問題点は見えている気がするけれど...どうだろう