考える虫のつぶやき

こうやって生きたらいいのに を探して、物の見方、考え方について、あれこれと思うままに書いています。なぜか夜中ばかりの投稿ですが…

One for All, All for One...は理想だけど、できる法律ってAll for Oneばかり...このアンバランスがこわい...

この前、ラグビー日本代表の試合のニュースをやってました。いよいよワールドカップが始まりました。それほどラグビーに興味がなかった素人ですが、4年前のワールドカップ日本大会は本当に楽しませてもらったぁ...で、今でも強く記憶に残ってます(^^)/

こんな書き出しですが...ラグビーの話から少し外れます...すみません(^^;)

ただ、
ラグビーの精神「One for All, All for One」という言葉に、ちょっと掛けた話です。

この言葉、日本語でよく耳にするのは...
ひとりはみんなのために、みんなはひとりのために」...で、実際にそうとばかり思ってました。でも、これを書いていて、ちと気になって念のために調べると...なんと正しくは、
「ひとりはみんなのために、みんなはひとつの勝利(目標)のために」なんだそうです...調べてみてよかった^^

ですが...

ここで書こうとしてるのは、誤解してた「...みんなはひとりのために」がらみで...最近、それが気になることって多いなぁ...って話です(^^;)

先日、上の子とニュースネタで話をしました^^...彼は大学生、一緒に夕飯はもう随分と少なくなってしまいましたが、先日たまたま一緒だったので.../^^;)

なんのニュースだったかというと...
確か、台風7号の影響で新幹線がストップして大混乱の話題...

そのときの話の流れはこんな感じ...だったはず^^

(私)「一昔前だったら、新幹線は運休せず走ってたと思うよ...」、
(彼)「じゃあ、なんで今はこんな風になっちゃってるんかな...?」
...このやりとりから始まり...

(私)「一人ひとりの意見を聞いてしまうようになっちゃった...からじゃない?」
(どちらかと言えば、聞かざるを得ない,無視できない風潮になっちゃってる...という意味で)

(彼) ぼんやり頭の中をグル〜と一回り巡らせた様子で...
 「もうちょっと、なんとかならんのかなぁ...」

(私)「難しいかもね...、今って個人の意見が無視しにくくなっちゃってるから...、これに限ったことじゃないけどね...
One for All, All for Oneのうち、All for One の一方向の法律やルールばっかり出来ちゃってる...、逆のOne for All って法律とか規則はできにくいし...(税金ぐらいでしょうか)、
そう考えると、決まりが一方向だけってのはバランス悪いよね〜、実際に結果として、大多数(All)がどことなく不満を持ってる空気が出来上がってる感じがするでしょ...?」

...

この話で咄嗟に出たのが「One for All, All for One」...、でも、このときは最初に白状したように、僕自身「みんなはひとりのために」って勘違いだったのですが...orz

ただ、
今、 大きな社会問題となっている、LGBTQなどの社会的マイノリティの問題や、SDGsの誰一人取り残さないが抱える問題...なんかは、法整備は当然として、企業や学校などの組織内でのルールづくり等々、かなり性急に進み過ぎてる...感があります^^;。しかも...
これらの決まりって、勘違いしてた方の「みんなはひとりのために」的な規則っぽかったり...

いずれにしても...
その一方向の"決まり"はどんどん出来ちゃって、もう一方の「ひとりはみんなのために」的な決まり(規則)は...(そんな決まりがじゃんじゃかできるのは困るけれど...ですが)、当然ながらほぼない状況...それが今...なのかなぁ...(^^;)。

これって、単純に考えてかなりアンバランス...たぶん
みんな頭の中では「みんなはひとりのために」的な行動が大切...それは理解してて、でも、なんとなくしっくりこないよなぁ...そんな風に感じてしまう人が多い気がしてます...

しかも...それらの決まりが、
本来の「みんなはひとつの目標のために」じゃなく、「みんなはひとりのために」的だと、さらに、アンバランス(不公平感)感が強くなっちゃって...そのせいで、あちらこちらでギクシャクが溢れてる...気がします。

そもそも、
「One for All, All for One」的なものって、規則(縛り)に頼るべきモノじゃないんじゃないのかな?...って、本来は、何らかの活動を通して作り出される連帯感的なモノ...その連帯の中で醸成される、みんなが共通して持つ倫理観的なモノ...のはず...

そう考えれば...
何かとルールを作りそれに頼る現在って、かなりまずい方向に進んでるんじゃなかろうか...って、すごく心配だったりします...
最近はロシアのウクライナ侵攻など国際情勢は厳しいですが、そんな中でよく出てくる「法の支配に基づく...」的なコメントを聞くと、ちょっと心配になります。法律の数にもきっと上限があって、それを超えると暴力の支配と変わんないぞ...って、思ってしまう訳です...orz


あと、みんなが連帯できる倫理観...その実現って、それほど簡単じゃなさそうですが...、やっぱり...一つの方法は、小学生までに...だろうなぁ...と、つまり...

小学校で、みんなが楽しく過ごせる...環境作りが一番...だと、困ってる友だち、寂しそうな友だちがいたら声掛けして、お互い助け合いながらニコニコ笑って過ごせる...そんな環境を作り、その雰囲気をちゃんと経験させる!、それだけで、かなり効果がある...そう信じてます^^、単純でバカっぽいですが...

学校だと、その環境(子どもたちの心の余裕)作りに、暇な先生が(いつでも話せる先生)が必要...間違いなく、とにかく、先生たちが今よりずっと暇で、時間も気持ちも余裕がある...じゃなくちゃダメな気がします...

いつでも助けてくれたり、手を差しのばしてくれる存在って、一見、暇そうにみえる時間のある人じゃないとできない...なのに、今って、誰かが見て分かる形のある作業(チェックシート的なたくさんの書類を作ったり)=仕事、みたいになってて、残念ですが先生たちの仕事もそれに則ったものが数多く課されているように思います...

学校の先生たちみたいに、人(子ども)を相手にするような仕事には、最近のやり方は間違っていた...と言ってしまっていいかと。今の社会問題をみれば、良くならない結果で溢れてるわけだし...

あと...
バンバン作られる、何でもルール化の流れをどう戻すか?...なのですが...何であれ、一回作ってしまったものを撤廃する...これって至難の業だったりします...orz

法を作って理想的な正しさで縛ろうとすればするほど...みんなのストレスを生む...もうとっくに随分と溜まってて、アメリカでは、トランプ人気、欧州では、ロシアのウクライナ侵攻を生んでしまう...これらの遠因も増えて留まることを知らない法による支配なんじゃなかろうかな...?と、そして、

この増える一方のルールに対して、いつの間にやら、「ぶっ壊す!」的な状況が生まれてしまった...それが今...なのかもしれない(^^;)。