考える虫のつぶやき

こうやって生きたらいいのに を探して、物の見方、考え方について、あれこれと思うままに書いています。なぜか夜中ばかりの投稿ですが…

SNSの誹謗中傷って、どうやったら減らせるんかなぁ...?

SNSでの誹謗中傷の話題が、ずーっと出ています。もう、散々言われてるけど、なかなかなくなりそうにはないかなぁ...

本気で減らそうと思えば、やっぱり長いスパンでやらないと無理っぽいし、
それくらい根深い問題じゃないかと...

なんで、あんなに激しく、しつこく誹謗中傷しちゃうのかって、そうしてしまう人を想像すると、

小さい頃に、ちゃんと認められた経験が少ないからかなぁ...と思う。つまり、

認められるはずなのに と思う気持ちやプライドと、でも、どこかにある自信がないという自覚が、
そうさせてしまう...

誰かを誹謗中傷することで、その誰かを下げ、自分が上になることができて、安心を得ている ように見えます。

きっと、
小さな頃から、お母さんや、お父さんかる認められたり、やってることをしっかり受け止められた経験がなくって、
いつも認めてもらいたい、ちゃんと評価されたいと、心のどこかで思い続けてきたんかなぁ...?


学生時代にいた、すぐ誰かのダメ出しをしちゃうタイプの同級生を思い返すと、

家が子供に熱心(一方的に)、「きちんとしなさい」とか、「ちゃんと勉強しなさい」とか...で、そのせいで、学校生活はちゃんとやるし、成績もそこそこいい
だけど、
家では「~なさい」を言われるだけで、それをちゃんと認められてなかったんじゃないかなぁと...、
少なくとも、本人は認められたという実感がなかっただろうなぁ...、なので、

学校では、自分は「分かってる」、「ちゃんとできる」を積極的にアピールしてくることが多かったなぁ、残念なのは、

その必死さが返って友達の冷やかしの対象になって、ますます「認められなさ」が強められていたように思う。


そうやって、考えていくと、


大事なことは、

小さな頃は、親が子どもを、そして、子どものやってることを、
「ちゃんと認めてあげること、しっかり受け止めてあげること」

だと、思う。

子どもにとって、
身近なお母さん、お父さんに認めてもらえることは、何よりも嬉しいことだし、それが、しっかりとした自信になっていくように考えています。

身近な人たちが、ちゃんと認めてくれれば
外で認められたいと、思わなくて済むし、
無理に認められようとして、自分の優位さを示そうとして、
誰かを批判したりしなくて良くなって、それが習慣付くようなこともなくなるんじゃないか...?と、
かなり確信的に思っています。


ちっちゃい頃からって話になっちゃうけど、やっぱり、
三つ子の魂、百まで
子どもの頃って、ものすごく大切で、この時期に、寛容で優しく、子どもの一生懸命を受け入れてあげれば、

大きくなって、誰かを誹謗中傷したり、傷つけたりはなくなるんじゃないのかなぁ...

なかなか、長く、時間のかかる解決に方法だけど、それでも、みんなが抱えてる色んな問題が解決されると思う。

そういう社会になって欲しい...