考える虫のつぶやき

こうやって生きたらいいのに を探して、物の見方、考え方について、あれこれと思うままに書いています。なぜか夜中ばかりの投稿ですが…

結局、教育しかないんじゃあ...激しい抗議は分断を生むだけでは?

アメリカ大統領選挙の投票は、いよいよ今日です。
投票日が近づくにつれ、異様で危険な様相を呈していて、関係ないけれど、ハラハラしてしまう。

どのニュースや、ドキュメンタリーも、トランプ氏とバイデン氏双方の支持者の激しい対立を取り上げていて、しかも、

お互いの暴走を怖れて、銃弾も売り切れているとか...さっぱり意味が分からん

そして、この選挙戦を意識してか、
有権者が激しい抗議活動も行われている。そこで訴えているのは、
コロナ禍における経済再開や、逆の規制強化、人種差別問題...等々

今年の始めごろ、
こういった抗議活動が起こり取り上げられると、さすがアメリカ~、
一人一人が考えて、ちゃんと声を上げて抗議行動をするんだ...と思っていたけど、

その後もちょくちょく抗議行動を見ているけれど、最近は、その多くが、
どれも自分たちの主張を一方的にしているだけなんじゃないのか?」と感じるようになりました。しかも、

それらの主張は、激しくなる一方で、それと共に暴力的な部分もくっついてきて...

つまり、
今の抗議行動って、一方的に主張するだけで、当然、対立する主張も一方的、結局、互いに全く接点がないまま、相手に負けじと ただただ激しくなっていく...

その様子は、まるで言葉足らずで、自己主張しかできない子どもの喧嘩みたい...子どもでもこうなると、どうしようもない

本来なら、
互いの意見を交わす場が必要なんだと思うけど、今、それを言う人は誰もいないかのように見える。

この選挙戦を取り上げた ある特集で、年配のアメリカ人が、
1960年代は、人種差別、肌の色による偏見は、学校で駄目だと、厳しく教えられていて、今みたいに酷くはなかったと話していた。

やっぱり、教育ってすごく大切なんだと思うコメントだった。
けれど、一方で、
今はその教育が、どうなされているんだ?と不思議になったりもしましたが...

それと、
抗議に関係することだと思うけど、

一方的な抗議や主張は意味がないこと、
そこから異なる意見も交えて、議論、意見交換をすること、
1つの妥当な答えを導くこと、

もちゃんと教育して、その当たり前の解決の流れを、みんながしっかりと身に付けることが必要なんだなぁ...と、

今回の大統領選の色んな事象をみて、強く感じました。

あと、
暴力的解決は、決してあり得ないということも...しっかり、強く教育で...当然なんだけど...orz