最近、生きづらさの話題をネットのニュースやラジオで見聞きします。
コロナ禍だから…という理由でもなさそう…
だんだんとそういう社会になっていってるんだと感じる。
SNSでの批判や誹謗中傷なんかも、される方だけじゃなく、する方も…きっと生きづらさの裏返しなんかなぁ…と
この生きづらさに関連して、自己肯定感って言葉もよく見かける。
確かに、自己肯定感があれば、落ち込むことはなさそう。
そして、
真面目でできる人でも、自己肯定感が低かったりするって記事もあったけど、これって意外に多いんじゃないかな...?
真面目でできる人で、親の熱心さを汲んで頑張ったタイプ…それなり多そうな気が...
その中で、
親が一生懸命過ぎるタイプだと、子どもは自己肯定感を得られないまま大人になってしまうんだと思う。
熱心過ぎたり、一生懸命過ぎる親は、子どもを思ってというより、
自分のこととして、つまり、自分の願い、気持ちが第一だったり、
結果だけが最も大切だったりする。
特に小さな子どもは、その辺にかなり敏感で、
自分を見てもらえてないことはすぐに分かるし、それで、ものすごく寂しい気持ちになってしまう。
その上、そういう親は、
どこまでもいっても満足せずに、子どもに頑張らせ続けてしまう...
なので、子どもは、
いつまで経っても、自分が認められた感覚を体験できず、大人になっていく...
子どもは誰でも、
親に認めてもらうことが、一番の喜びなので、
認めてもらえないと、ずーっと、思い続けてしまう。大人になっても...
それが、
生きづらさの理由の一つなんじゃないか...?って思う。
大人になっても続くんだから、かなり辛い...きっと
実は、
他人を批判したりするのも、自分を認めさせたい、つまり、自己肯定感を確かめたいという思いの現れの一つかなぁ...と、
批判する側って、批判される側を作ることで、自分が優位になれるから...
そう考えると、
結構な人が、自己肯定感があまりないし、生きづらさを抱えているってことになるので、ちょっと心配だったりします。
それとは逆に、
親に認められてる感を十分に持っている人って、
自分はこれでいいやって人が多くて、
外に認められたい感を強く出すような人は少ない気がする。
親との関係も、しっかり受け止められている、だから安心って感じ。
大体、寛容な人が多いかな...
最近は、投稿動画で、小さい子どもの親子が出てたりするけれど、
保育園児くらいの子どもが、
座ってる親のところに駆け寄って、親にお尻を向けて、寄っ掛かるようして座ろうとするシーンをよく見掛けます。そして、
親の顔の方をニコニコしながら振り返る。楽しそうに話したり...
そういうシーンを見ていて、
自己肯定感って、そんなに難しいことじゃなくて、こういうことで、子どもは獲得していくんじゃないかと、強く思うようになっています。
子どもにとって大切なことは、この受け入れられてる感だし、それが一番の願いだと思う。
それが叶えば、自分を肯定するのは自然なんじゃないかな。