考える虫のつぶやき

こうやって生きたらいいのに を探して、物の見方、考え方について、あれこれと思うままに書いています。なぜか夜中ばかりの投稿ですが…

批判の的を餌にする いなごの群れ…集団の怖さ、考えることの大切さ

東京五輪パラリンピック
ここ数日、組織委員会の会長発言をきっかけにして…すったもんだ。

そんなに時間的余裕もないのに…orz

これから書こうとする内容って、非常に書くべきかどうか迷う…上手く書けるかどうか分からないし…

でも、やっぱり書いた方がいいかなぁ…


さて、
今日の会見で正式に、会長が辞任することが決まった。さらに、

昨日のニュースだと、後任候補の名前が上がっていたけれど、
今日の夕方のニュースを聞くと、どうやら、色んな意見があって、

"透明性のある選考方法"

で、選出することになったらしい。


この一連の大きな騒ぎは、やはりSNSが中心になっていて、見方によっては、手がつけられない 風で、

一方的に、多数が特定の個人を、徹底的に非難する、しかも、匿名が多い

会長の発言に問題があるにしろ、

この構図は、その発言の問題よりも、実はもっと深刻な問題であるように思う。

さらに、気になったのは、

後任候補の名前がでると、今度は、
どこかの批判的な発言をきっかけに、再び、批判的な発言が群がっていたこと

その様子は、まるで、

餌に群がる "いなごの大群"

を想像させる。

批判の的を餌にする"いなご"

常に飢えているので、餌を見つけては、次から次へと移り行く。しかも、後先も考えず、見境なしに…


最近、
こういったSNSでの一斉批判(炎上)がよく問題になってて、
一体、どういう心境なのかがとても気になっています。

ちょくちょく調べた中の1つに、興味深いものがYouTubeなんかにありました。

かつての評論家 小林秀雄 の講演(なぜ徒党を組むのか)に関する一節、

だいたい、こんな感じでした。

人は、信じる力が無くなると、
責任を取らなくなる。

そして、
人は、集団的になる、解を欲するようになる。

自分流に信じないからイデオロギーに頼る。
そして、
イデオロギーは匿名で責任を取らない、集団(大衆)の力となる。

そして、
集団の力は何処へでも、自分が正しいと言って、押し掛ける。

人間というのは、集団になると現れる恐ろしい力(面)を持っている。

その他にも、

信じることは、考えること

というのもありました。
この場合の "考える"は、

相手のことを思う、想像する

と解釈されるようです。


小林秀雄が言っていたことが、今、正にSNSで起こっていることで、そこから言えるのは、


残念だけど、
人は、考えなくなっている ということだと。

どこかにある答えを求め、それに迎合し、その自分の正しさを何処までも無責任に訴える。
そして、
それを繰り返す。

今は、その人間の持つ 恐ろしい面が、あからさまに現れてしまっていて、

立ち止まるべきは、こっちの方なんじゃないかと心底思います。


今回の発言で、
問題にされている"差別"も、

一人一人考えることもせず、どこかにある答え(らしきもの)を盾に、ただ訴えているのであれば、

実は、訴えている側も、差別を生んでるんじゃないかとさえ考えています。


今、僕らが抱えているこの問題は、恐ろしく根深いんじゃないかと…

そして、
それを解決するための、考える力を養う教育、もっと真剣に考えなくちゃいけないと思う。

家でも、子ども達とニュースや、何かの問題について話すときに、意識していることがあって、
できるだけ、
違う見方の意見や考え方も 出すようにしています。

立場の違いだったり、そもそも答えが1つとは限らなかったり…

そういう気付きを楽しめるようになればなぁと思っています。

そうなれば、
色んな人とも気持ちよく意思疏通が取れるようになって、差別を遠退かせることができるかもしれない…