なんのこっちゃ…?、と言われそうですが…
ここ最近、
差別、格差や、それをきっかけとした世間の動きについて、疑問を呈したり、やや批判的なことを書いたりしてますが、
「じゃあ、どうすればいいの?」
ってところまで踏み込めずに、自分自身モヤモヤしてました。
ようやく1つ、男女の格差について、これはやる意味ありそうだ...って思ったのは、
「ちゃんと数学を身につける…中学卒業までに」
で、そのための教育が必要だと思う。
男女の差別や格差で、よく言われるのは、
「女性は、○○だから…」とか、
「△△なのって、男性だよね...」とか、
○○、△△に入る言葉は、無数にあります。ただ、やっぱりその中には、
男女それぞれの違いから来るものが多く入るように思います。
特に、所謂、社会での活躍では、
「女性の社会進出」という言葉があるように、女性が少ないのが日本の現状です。
一方、
欧米、特に北欧なんかは、企業だけでなく、政治でも女性の数は多い という話を耳にします。
また、日本について、厳しいことを言うようですが、
国会中継などで女性議員の発言を聞く至り、
言ってることに、論理性や先見性を感じなかったり、そもそも、建設的でない話題だったり...言い換えると、その時、その場的な印象を受ける...そんな風に感じることが多いです。
対照的に、
ドイツのメルケル首相や、ニュージーランドのアーダーン首相の話なんかを聞くと、きちんと理路整然としてるし、その先にあるものを意識させてくれる。そんな風に感じます。
なので、
女性だから...と意識することすらありません。
この違いは、一体、どうして生まれるんだろうか?
と...最近とりとめもなく考えます。
その中で、なんとなく思い付いたのが、
言語の違いです。
日本語は、英語や他の言語に比べて、圧倒的に論理的じゃない。
だから、ダメだという意味ではありません。
日本語は、他の言語と違って、比類のない視覚的言語で、直感的で効率的に情報伝達ができる言語です。
さて、例えば、
英語、
文字がアルファベット26文字だけ。これで文章を表現するには、必然的に論理的な構成じゃないと、相手が頭で整理できずに伝わらない。
一方、
日本語、
漢字に、ひらがな、さらに、カタカナで、文字数もひらがなとカタカナだけで100、漢字はそれどころじゃない。
これらを駆使して書いた文章は、全体をパッと見るだけで、大体何について書いてあるかが視覚的な情報として伝わる。論理的な構成でなくても...
結局、
欧米の人達は、PCで母国語を普段使うだけで、綴りや文章を覚えてつつ、論理性も学んでいる。
じゃあ、日本人も英語を!って意見が出てきますが、個人的には、反対です。
日本人特有の「パッと見ると分かる感覚や、一々言わなくても意を酌む能力」は、日本語で鍛えられているだろうから。
じゃあ、
英語に代わる「論理性」を身に付ける手段として、
「ちゃんとした数学」を身に付ける必要がある と思ったわけです。
今でも、小中学校で、算数、数学をやってるじゃないか! と言われるかもしれないけれど、
「ちゃんと身に付けてる人」って、少ないと思う。これは、実体験から...そう思う。
それと、数学が苦手な(嫌いな)人は、女性の方が多いのも...
「ちゃんと」というのは、ただ計算ができる ではなく、その答えになる説明ができる ということです。
例えば、
「AだからB、BだからC、よってAはC」のように...
その積み重ねで「論理的思考」を養うことになる。
「ある目標Cがあって、Aから始まるとすれば、何Bが必要になるのか?」
は正に、先に書いたのと同じ関係です。
「目標に向かって、組み立てて考える」
このための能力を養うために、「しっかりした数学力」を身に付ける。まずはそこからはじめてみたら...と思う。
ちょっと極端な意見かも知れないけれど、いずれにしても、数学は多くの人が学修すべき必要な知識だと思う。