考える虫のつぶやき

こうやって生きたらいいのに を探して、物の見方、考え方について、あれこれと思うままに書いています。なぜか夜中ばかりの投稿ですが…

批判的精神...ただ批判だけをしてしまうのは...?

いろんな物事の問題に対して、最も良いと思える解決法を見つけるには、
「批判的精神、批判的思考」が、とても重要だと言われています。

批判的思考は、wikiにちゃんと書かれていて、参考になります。

今は、SNSが発達して、みんなが自由に意見が言えるようになって、良い面もあるけど、

それらを通じて、何かを「批判する」ということについては、負の作用が強く出ているように感じます。

最初に書いた、
「最も良い答えを見つける」を考えれば、

「批判する」ことは、
今ある案を単に「否定」するのではなく、それに変わる答え(代替案)を提案し、良くするための議論する機会を作ること
で、

全体として、
「批判する」は、より良い解決策を見出だすための一つの過程にすぎません

でも、今、
色んなニュースや、SNSなんかで出てくる「批判」って、
「その先、どうしたいんだい?」
って思うものが多い
のが気になります。

もうちょっと深読みしてしまえば、
「現状に不満があるから」とか、
「そもそも思想が違うから」とか、
そういうものが、原動力なだけで、
『ある問題を解決するため』という思いは見えません。もしかして、
「ただ単なる批判キャンペーンでは?」とすら思うこともあります。

そして、
批判するそれなりの人が、
「格好いい」とか、「立場が上っぽい」とか、そういった程度の感覚を持っているんじゃないかなぁ? とすら思います。

あと、
「ただ批判するだけ」ってことは、つまり、
いつか誰かが、その批判を汲んで、何かをやってくれる と思っていて、
それが、またちょっと違うと不満を感じて、再び批判する
それを繰り返してしまう

きっと、そんな風だと考えています。

それと、
これはSNSが広がって、顕著になった、ひょっとすると、助長されてしまったことかもしれないけれど...
「批判するだけ」の人は、同じような人を見つけて同調して、見つけ出して同調させてしまう傾向が強くあるように感じます。

それぞれが、「批判の先」を考えるようになれば、違いも出て来て、そんなことも減ってくるのでは?とも思っていて、

批判的精神で「批判して」大きな体勢を変えるのは難しいけど、
自分が思う「批判の先」を少し取り入れて自分の行動を変える くらいはできるかなぁ、ささやかな抵抗だけど...

最後に、
「批判の先」を思うことがないなら、批判する意味はないように思ったりもするけれど...