考える虫のつぶやき

こうやって生きたらいいのに を探して、物の見方、考え方について、あれこれと思うままに書いています。なぜか夜中ばかりの投稿ですが…

伝統や文化は便利じゃないけど...日本らしい豊かな住みやすさを作ってる...きっと。

昨日だったか、一昨日だったか...ニュースで、熊本市長と定住外国人との対話集会の話題が出てました...

それに対して、色んな意見が出てたので目にとまったのかもしれません^^

その対話の中で...
「行政書類で元号が使われていて分かりづらい」とか、「給食メニューは文化や宗教に配慮して欲しい」などなど...

この手の意見に対して、結構、きつい意見をはじめ、いろんな意見が飛び交ってました...(^^;)

そして...、

外国の人たちが、どういう理由で日本に来て定住されているのか...は、様々だろうとは思いますが、やっぱり...

平たく言えば安心安全...優しい人が多いとか、親切だとか、争いを好まず平和的で犯罪や危険が少ないとか、その他にも...、歴史があって伝統的な文化が残っている。かと思えば、新しい技術やきめ細かな工夫を凝らしたモノに溢れていて、漫画やアニメなどの独特なカルチャーもある。もっと身近なことだと、よそにはない独特な食べ物が多くて、しかも結構美味しいとかだったり、色んな鉄道や道路網が張り巡らされてて便利で面白い...などなど、まだまだ沢山あるとは思いますが...

とりあえず、こんだけ挙げればそれなりでしょうか...^^

とにかく、思うところは...

外国の人たちが上に書いたみたいに、日本に対して良いと感じるところは、それぞれが無関係に作り上げられてきたものではない...んだろうなぁ...
ということです。

それぞれが色んなところで影響し合って醸成されてきたもの...

その中に、元号も当然入っている...ように思います。

行政書類の元号なんて、日本人の僕ですら、書かなくちゃいけないときは、面倒〜っ!、ってなります...(^^;)。でも...、

そのたびに、ほんの少しかもしれませんが、自分の国の歴史を意識する...そのきっかけには間違いなくなっています^^

そういう面倒な 元号で書くなんかの習慣が、食べ物だったり、文学だったり、芸能だったり...と色んなものに対して遡る機会を作り出し、そこから、新しいコト・モノを作り出すヒントになったりもする...

何かコト・モノを考えるときに、同時期のも...横だけを見ながら創造するだけだと、そんな躍進的なものは生まれそうにないけれど、時間軸も遡って見ることができたら、横だけじゃなく縦も加わって、縦横無尽な発想に繋がる気がするし、他にはない面白いものが生まれても不思議じゃない気がする^^

ちょっと大げさじゃない...?って言われそうだけど、ちゃんと関係あると思う。

なので、もし...
元号の使用をなくしたりすると、その分日本の良さもなくなっていく...んだと思う。

利便性を求める...これって、平準化みたいなもので、結果的には、世界中どこでも変わらなくなって、その国の良さも弱くなってしまうんじゃないのかなぁ...と。そして、そうなったときに...、
彼らは「この国も、もといた自分の国と同じようになってしまった...」云々と嘆くような気がします...orz

伝統や文化って、その国の平均線があったとすると、その変動幅のうちの正の変動幅の大きさを担ってるのかなって...、その 正の変動幅が大きいほど、その国の良い個性が強い...当然、正の変動幅があるということは...
その分だけ負の変動幅も大きくて、それが行政書類の不便さだったりするのかもしれない^^

そんな風に考えると...
外国の人たちには不便に感じることかもしれないけれど、折角来た日本の伝統や文化に対して、その面倒さに付き合って貰えたらなぁ...と、また...、
行政側も、そんな風に思って貰えるように彼らとの対話を大切に頑張って欲しいなぁ...と^^


それと似たような話で...日本語もそうなのかなぁ...と

グローバル化で英語だぁ...って流れがあったけど、その前提として、日本語を大事にするがあるはずなんだけど、その辺が蔑ろにされた感があったよなぁ...

日本語って、長い時間をかけて、漢字、ひらがな、カタカナでできた、他の言語にはない視覚的(文章そのものが)言語で、これって、今の視覚的に絵で表現する漫画にも繋がっている...はずだぁ...と常々思ってます。

当然、それは日本人独特の思考の仕方にも繋がっていて...いいモノを作れてきたのは、その恩恵が多きかったのでは?...と、

最近言われている科学技術力の低下も、これが一因(全てではない)じゃないの?...とも思っています。ここ20年近く、科学技術の論文も英語じゃなくちゃ評価されなくなっていて、それだと、長年英語を使ってきた欧米の人たちに勝つのは並大抵じゃあないはず...(^^;)

そもそも江戸末期、明治時代は、外国の資料を片っ端から日本語にして技術を取り入れ、その結果、急激な技術の発展した...つまり、外国に追いつき追い越すために日本語にした...なのに、今、英語のままで何とかしようとしてる。

これもグローバル化(海外の人たちの意見を取り入れた)による平準化の弊害の一つだと思うんだけど...、とにかく、

これも、伝統や文化と同じように...
長年培ってきた日本語を使って、ものを考え、表現する...日本語なら、ちょっとした空気の違いみたいなものまで表現できる...つまり、表現の解像度がぐっと上がるはずなので、より良い結果に繋がるはずなのに...と日々悶々と思っています^^

それに、今はChatGPTみたいなAIで、日本語も簡単に英訳できるから、わざわざ英語で書くことにさほどの意義もなくなるはずだし...^^