最近なぜか、本を読みたいという気になれない...orz
あまり良いとは思えませんが、それでも、そんな心境がここ数ヶ月続いてます...(^^;)
まあ、少し時間が経てば、また読む気にもなれるかもしれないけれど、
とにかく...
昨夏コロナにかかったからなのか...?、
周囲の環境によるものなのか...それとも、
歳のせいか...?
いろいろと思うところ、やっぱり周囲の環境のせい?...そんな気がしています。
タイトルにも書いたとおり...
「活字離れ」じゃなくて、「活字離れしたい...」
自分のことなのですが、そんな風に思っているようです。
それについて、取り留めもなく頭をぐるぐると巡らせて思うのは...
文字...文書のほうが適当かもしれませんが、
その 文書が、本来は、
「人同士が、それぞれの思いを伝え、意思疎通をとる」
そのためにあるはずなのに...
最近は、ほとんどが
「人を、なんらかの規範に縛りつける」
そのために多用されている...そんな文書ばかりを目にする...orz
それをやたら強く感じる...間違いなく...
少し前から、ぼんやり考えるのは、
文字にされた言葉や文書...には、
「ある状況や状態、そして、ある時間を経て形成されるものや事を端的に表す」
機能が求められていて、その結果、それらは...
「状況的、時間的、空間的...な多くの要素が凝集、圧縮されたもの」
になっている。そして、話し言葉に比べて遙かに
「重くて明確な意味、存在感」を持つ...ってこと。
特に、漢字・ひらがな・カタカナを駆使する日本語は...
だから、
文字にされてしまうと、いろいろと圧縮されているので、
人はそれにかなり捕らわれてします...orz
それが、依頼文や指針みたいなものとして出されると、
受け取る側は、それなりに緊張せざるを得ない...(^^;)
それが、事あるごとにしょっちゅうだったりすると...
かなり嫌気が差してくる...
たぶん、冒頭に書いた
「活字離れしたい」気持ちの理由はそれなんだろうなぁ...
最近は、職場...それに限らずニュースなんかで見る行政の対応...などなど、
至る所で、通達文が乱造乱発されている気がしてます。
少しきつい言い方かもしれませんが、小物感満載です...(^^;)
コロナ禍...それより少し前から、この流れは強くなっていて、
ここ最近、
小物緩満載の事件(強盗や殺人)が多いのも...
そういうことが少なからず関係している...きっと。
今は、文字化、文書化すると、白黒はっきりさせた...的な
感覚をみんなが持ってしまってて…
さらに拍車をかけているのが…
やっぱり、SNSな気がする…(^^;
会わずに文字だけで思いを伝えようとするわけで、しかも、文字数に限りがあったり…そうなると…
みんな無意識に、
発信するときは、一言に色んな思いや情報を詰め込んだ気になって…
受けとるときは、その言葉を見た目以上に、重い意味があるように受け取りがちになっちゃう…(^^;
お互い顔をみればそんなことはないんだろうけど…
それ以前に戻すのは簡単ではないけれど...とにかく、ポストコロナで、顔を合わせてコミュニケーションをとるようになればいいかなぁ…(^^)
あと、
仕事や行政なんかでも、あと教育の場もかな… もっと上手い方法を考える時期なんじゃないかなぁ...
文書に頼らない物事の決め方とか...
たとえば、
会議(話し合い)のあり方とか、文書化せずにそこで決める...とか(個人的には、会議って、明文化されたもので決められないものを話し合う場だと思ってる)
じゃないと、
これからの若い人たちが伸び伸びできなくなるよなぁ...
「活字離れしたい」と言いながら、これ(活字)を書いていて、矛盾してる...ように見えますが、なかなか文章が上手く書けず 四苦八苦しています...(^^;)
本もちょっと読まなくちゃ...とも