考える虫のつぶやき

こうやって生きたらいいのに を探して、物の見方、考え方について、あれこれと思うままに書いています。なぜか夜中ばかりの投稿ですが…

首相銃撃事件…その犯人を生み出したもの…

昨日は、昼以降、あまり仕事にならなかった…

まず、亡くなられた安部元総理に、心よりご冥福をお祈りします。

犯人については、これから、その動機などか明らかになってくる と思いますが…

ニュースで犯人を見た印象は、「それほどでもなさそう人が…!?」です。

今、ここで意見を書くのは、いいことではないかもしれない…
ただ、今、感じて考えてることは、今しか書けない気がするので、書いています。

当然、この犯罪を起こした彼は、言うまでもなく悪い。

問題なのは、
「そんな彼を生み出したもの」
だと思う。

彼が起こした犯罪は、
彼が感じる不安や不満を、誰か(自分以外の何か)のせいにした…その結果の行為です。

単純に、「自分から逃げている」

誰でも、何かしら不満や不安を感じていて、それに対する、本来あるべきは…

「今、自分は何をすべきか?」
「今、自分なら何ができるか?」
そのために、
「今この状況がある背景や理由、そして、取るべき行動について常日ごろ考え、できることからやっていく…」

なんだとと思う。

でも、恐らく彼はそうじゃなかった…
たぶん、
不安や不満の理由を、自分の外に探し続けた…「◯◯ガ~」のように。

安部政権時にも、何度か発信したかもしれないけれど…、その当時も、気になったのは、

政権に批判的な立場の人たちの批判の仕方…

「◯◯ガ~」、「◯◯を許さない~」、「反◯◯」などなど…

とにかく、
名前(◯◯)を至るところで使って連呼する。

この批判の仕方は、はっきり言えば、「自ら考えることを放棄した」行為そのものだし、それを合唱するのは「いじめ」の構図そのもの。

ちゃんと考えているならば、そうはならない…
「こうして欲しい…」、
「ああいう風にすべきだ」…、
「それは止めるべきだ」…
などなど、もっと具体的な意見が出てくる…

どう考えても、
◯◯ガ~ なんかは、何も表してはいない

反◯◯の立場の人たちにとって、
「自分たちの存在をアピールする」
(かまって欲しい)、そして
「相手を自分たち以下に落とす」(自分たちが上がる訳ではないので、全体ではもとのレベル以下にしかならない)ための、道具でしかない。


でも実際は、その程度の道具、
「◯◯を使い連呼・合唱するような批判」が、かなりしつこく、そして、かなり長い間、使い続けられてきて…今でも、時々耳にする…
(もう首相でもないのに…)

そんな感じで、
あんまりしつこく聞かされると、少し弱さを抱えた人は特に、
「そう考えてもいいんだ…」と、自分の弱さを認めたくない心情も相まって…
いつしか、それを受け入れてしまう…

怖いのは、
不安や不満を持ち続けて、何かのせいにすることが常態化してしまうと…、
常に「自分には非がないのに…」と思い込んで、それを守るために、「その何かの悪いところばかりを見るようになる」、さらにエスカレートしてしまうと、いつか「ものすごい理想的なものを求める」ようになってしまう…
残念ながら、
「自分で解決する」ことは、自分が責められるかもしれないと思うようにもなっていて、そういう行動もできない…、
その結果、
その「何か」を排除する以外に方法はないと強く信じるようになって…

徹底的に避けたり、攻撃したり、虐げたり…といった行為に至ってしまう。


つまり、
誰かのせいにするような しつこい活動が、世の中の雰囲気を、そういう風にしてしまって、
それに触れ続けた人たちにも広がり、
「自分以外の何かのせいにする」
それが、普通の感覚になって
いった…

この銃撃犯のように、最後には「何かを排除するための」非道な考え方が、時間をかけてじんわりと醸成されてしまった…

それが、少なからず、
「そんな彼を生み出したもの」
ではないんだろうか…と思う。

そして、彼は、分からないほど醸成されつつあるものの1人に過ぎない…と思う。


特に、国民の代表になる、なろうとする人たちや組織、国民に情報を伝える側の人たち、組織は…すべてではないですが、
もう、そろそろ真剣に、今の批判のあり方を考えるべき だと思う。

相手を貶めることで、世の中を変える流れを作ろうとする愚策は、何のためにもならない
そもそも、誰のため、何のために、活動をしてるのか、もう一度、ちゃんと考えて、見つめ直して欲しい。

それくらい、色んなところに影響を与えるポジションにあるのだから…


僕自身、
これから先、次の世代の若い人たちに、何を伝えられるか…、どういう風に伝えるか…、簡単ではないけれど、これまでと通り、考えながら、行動していこうと、改めて思いました。


1人1人が、現実の良きも悪しきもちゃんと知って、
寛容で、広い視野で、バランス感覚を持った
(厳しすぎず、狭い世界で捉えず、極端にならない)、そんな
ものの見方、考え方に、なればいいのになぁ…と。