自己肯定感、日本はとても低くいらしく、自分にも思い当たる節が…orz
周りにも、そういう話をする…だったり、そういう雰囲気を感じる…人が多いのは間違いないように思う。
GW中だったかな…ある番組で、それをテーマに若者の意見を聞いていた…
その中で、
自分の見た目にコンプレックスを持ってる女性が出ていて、
「そう感じるようになったきっかけは…?」と質問すると、「それはSNSなんかで…」的な返答をしてた…かな?
でも、本当は、
小さな頃の家庭環境で、そういう風な思いの巡らせ方をする、つまり、「自分に何か足りないように思う」ようになった…
が正しいのかもしれない。
これに限らず、
いろんな場合に当てはまるけど、
「きっかけ」って「結果」であって「原因じゃない」ことって結構多い。
とにかく、
そんな風に思ってしまうのは…
その小さな頃に、
お母さんや、お父さん、ひょっとするとおじいちゃんや、おばあちゃんもいるかもしれない…
そんな身近な家族と過ごす…そのいろんな場面で…
優しくされたり、
誉められたり、
やろうとすること(ちょっと危なっかしくても)をほとんど口出しされることなく見守られて、自分の行動が緩く許されてたり…
そんな経験があまりなかったんだと思う。
もしかすると、逆に、
ちょっとしたことですぐダメ出しされたり、
できないことを指摘されたり、
何かやろうとする前に制止されたり、
さらに、酷いことだけど、
あなたには難しいから無理でしょ…って始めからやらせてもらえなかったり…
そんなことが日常茶飯事だったかもしれない…
そんな環境だと、やっぱり、
自己肯定感は持てなくなっちゃうんだと思う。
自己肯定感…、言葉的には、
「自分を肯定的に感じられること」で、なんか自分に限られたもののように聞こえるけど、そうじゃなくて、
「誰かに(だいたい身近な人)、受け入れられた感」で、その積み重ね…
そこで感じられる「安心感の蓄積」みないなものなのかなぁ…と
それが自分の気持ちの拠り所…積み重ねた分だけ大きな自信になってるように思います。
それが持てるようになれると、実は、
外との関わりで、
「周りの人が自分をどんな風に見ているのか…?」
「自分がどう見られてるのか…?」
なんて、あまり気にならない…たぶん…
逆に、
それがないと、
不安に感じられそうな状況を、的確に感じちゃって、自分を否定的に考えてしまう…つまり、
幼い頃にもらえなかった安心感を、今でも求め続けていて、それが…
周りを強く意識することに繋がって…
「満たされなかった安心感
→自分の足りなさ
→自己肯定感の低さ」…になってる…
そんな気がします。
なので、
大切なのは、
幼い頃に、優しく見守られて育つことなんだと思います。
幼い頃に、
お母さんや、お父さんが、いつもニコニコしてて、優しい(^^)、
そして、
できれば受け身で、肯定的に接しててくれる…、
たまに、やんちゃをして、いよいよ危なくなって叱るときも、感情的に大声じゃなく しゃんと声掛けするように注意する…
そんな風に、誰かが受け止めてくれるような環境がいい…たぶん
そうすれば、
すくすく前向き(自己肯定的に…)に育つんじゃないのかなぁ…(^^)、
でも、幼い頃、そんな風ではなかった…、そして、
大きくなって、自己肯定感が低いと思いがちなら、
とりあえず、
自分自身の意識(気持ち)の持ち方を少し変える…が必要かなぁ…
(言うのは簡単…って言われそうですが…)
まず、言えるのは、
「周りはそんなに自分のことを見ちゃいない…」(そんなに構ってらんない…)
ってことです。
(わざわざ近づいてくる厄介者じゃなければ…)
普段、そう思えるようになるだけで、
だいぶん気持ちは楽になるんじゃないかと思う。
自己肯定感を低く感じやすい人は、
自分を見過ぎるぐらい見ていて、特に足りない部分を…、なので、
他人も同じくらい見ている…と思い込んでるように感じます。
でも、
自己肯定感を意識しない人は、
自分の足りない部分をそんなに意識しない…意識する習慣なんてほとんどなくて、
他人を見るときもさほど気にはしない。どちらかと言えば、もっと他に広く意識が向けられていて、そんなに構えない…
だから、
「周りなんてそんなに自分を見てない…」
そう思って、自分自身が自分を気にしなくて大丈夫…じゃないのかなぁ…
あとは、
誰か、何か、自分以外のために活動すること…かな?、
そうすれば、
自分に意識がいかなくて済むから…
外に向かって活動してれば、感謝が返ってくることもあるかもしれないし…ね。
なんか…話が長くてまとまってないような…orz
#自己肯定感