僕はあまり感極まったりできないタイプで、「愛情」という言葉から少し離れた感じの人なのですが…
そのせいで、他の人より、少しいろんなものが、よく見えるのかも知れません…
いずれにしても、
その「愛情」についてふと思い浮かんだことがあったので書いてます。
とにもかくにも、仕事柄のせいでしょうか…
人付き合いや学生生活、その他にも知人なんかでも、周囲との関係が上手くいかないなんて状況に関わることがわりとあります。そして、それは年々、多くなっている気がします…
たぶん、間違いなく…
そのような人たちに共通して感じるのは、
「自分自身に対する自信のなさ」です。
これは、
優秀だとか、そうではなく ごくごく普通だ...とか、そういうことは、あまり関係ない ようです…(^^;
色々と話を聞いていると、ほとんどが、小さな頃の育った環境がかなり影響していると感じます。たぶん間違いなく…
育った環境もいろいろとあって…
親が子どもに対して、
明らかに暴力的…は、分かりやすいですが、そんなのではなく、
子どもに過度な期待をしたり…、ある方向に(多くは勉強するよう)やたらと熱心で半強制的だったり…、
その他には、
自分から離れないように可愛がる…結果的に束縛してしまう…、
これが厄介なのは、親の多くは、束縛しようなんて思っていない…、そして、それは父親より母親がやや多いように思います…
子どもが小さいうちは身近な存在ゆえなのかも知れませんし…女性特有の抱えやすい不安から来るものなのかもしれない(そうじゃない女性もたくさんいますが…)。
ただ、女子に対しては、父親が結構関係していることがあります。
ここで幾つか挙げたものは、それぞれ全く違うように思えますが、どれも、
「親の一方的な想いだったり、考えだったり、それだけで及んでしまう行為や接し方」で、
「子どもの立場に立った接し方ではない」ことが共通しています…
そして、さらに厄介なのは、
子どもにとっては、親は親。だから...
子どもは当たり前のように、
親から愛情を注いでもらえるもの…、例えそうじゃなくても、
親は愛情を求めていい存在…
と無意識に(本能的に)思っている ところです。そのせいで…
とても そうではない…子どもにとってつらい…親の接し方も、愛情だと思ってしまう(信じようとする)し、必死に関わり続けようとします。つまり、
子どもは、親が喜ぶ だったり、機嫌を損ねない…を求めて、そうなるように頑張って振る舞ってしまいます。
子どもが親に愛情を注いでる…あべこべな関係です…orz
それでも、親が満足して喜んでくれたり、褒めてくれれば、まだましですが…
親の当たりが厳しいと、子どもは「自分はちゃんとできていないんだ」…そんな風に思うようになって…
そんなことが小さな頃から長く続いていると、
「自分に自信が持てなくなってしまう」…、たぶん、どんな人でも…
そして、いつの間にか、
ひどく大人しかったり、逆に、
やたらと褒められたがる…、
自分はできる(できるのに…って感じで)をアピールしたがる…、その他にも、
すぐに「大丈夫」とか「できる」と返事をしてしまう癖(実際は上手くできないことが多いのに…)や、
すぐに誰かや何かのせいにしてしまう癖…などなど、
現れ方は様々ですが、
周囲がちょっと気になるような行動をとってしまう…そして、それが習慣になっている…
その理由で思い当たるのは、
「やっぱり親だから離れられない」…そんな中で、「自分を守る、身に及ぶ危険を避ける」…等々のために、身に付いてしまったもの…なんだろうなぁ…と
そうやって身に付いてしまった行動が、学校なんかの外の社会では、ギクシャクしちゃって、外でも苦しい思いをしてしまう…
長々と書いてしまったけれど、
そういうことが、今、色んなところで起こっていて…表面化している…SNSでのカミングアウトなんかもそうですね…
子どものうちはまだ純粋で、その信じる思いが強いために、
親が子ども目線の愛情を持てていない、または、かなり薄かったりしても…、子どもはなかなか気づけない(信じたくない)…
例え、それを誰かに指摘されても…、そんなに簡単には受け入れられない…
それだけ、親の愛情…って、子どもには、とっても大切で、たぶん、人生を左右するんだと思います…
親は、それだけは…それだけでいいから、ちゃんと心に留めとかなくちゃいけない…と思う。
あと、親じゃなくても、
おじいちゃん、おばあちゃんだったり、親戚が近くにいればいいけど、今、これだけ核家族化が進んでしまうと、子どもと親だけの関係しかない…
親ガチャではないけれど、残念ながら、親との関係に恵まれない子どもって多いと思う…それに加えて、それを助ける環境は、減っていく一方…間違いなく…orz
本当に、子どもたちにとっては大変な時代だと、自分の子どもたちを見ながら思っています。
何か新しい仕組みがないかなぁ…と切に考えたりもします。
僕が小さな頃、近くの公園には、憩いの家っという小さなハウスがあって、そこでは年配の人たちが、いつも将棋や碁をやってました。
いつもの人たちがいる公園って、今思うとかなり安心だったのかもしれない…そんな気がします。
みんなが集まる公園だったら、家の環境が辛くても、そこにくれば、他の誰かと過ごせて助けられる…昔はそれが機能していたんだなぁ…と。
朝の通勤中のラジオで、ちらっとですが、「人は、祖父母と一緒に過ごすことを前提にできている」みたいな話が流れてました…(^^)
本当に、そうだと思います。
#子育て
後日談ですが、また、ラジオで、
夏休み明けの子どもの自殺に関わる話題をやっていました。
学校と家に変わる第3の居場所の話でした。
子どもが気兼ねなく誰かと過ごせる場所...増えるといいなと思います。