考える虫のつぶやき

こうやって生きたらいいのに を探して、物の見方、考え方について、あれこれと思うままに書いています。なぜか夜中ばかりの投稿ですが…

「おばさん」を受け入れるのに抵抗感?...おじさんって響きは好感もあるのに

新春のラジオ「高橋源一郎飛ぶ教室」を聞いてると、
「おばさん」であることに抵抗を感じてしまう、素直に受け入れたいのに...っていうのが話題になっていた。

逆に、
「おじさん」は、『素敵なおじさん』とか、好感的に受け入れられる存在になり得ているのに、「おばさん」は…ってことらしい。

あんまり気にしたことはなかったけど、言われてみると、なるほどなぁ…と、
それについて、ぐるぐるっと思い巡らせてみた。

思うところは、
男女の自分に対する意識の違いかなぁ…

男の人って、女の人に比べて、自分の「おじさん性」を自虐的に扱えるところがあって、そのお陰で、
周りもズカズカっと踏み込んできて、いじることもできて、親近感や安心感を覚えて...
そうこうする間に一転して、『素敵なおじさん 』になり得るのかもしれない...そんな風に思った。

その一方で、
女の人で、周囲に自分の「おばさん性」を自虐的に晒す人って少ないように思う。

例え、そんな風に聞こえる話をしていても、それをいじって話題にしていいものなのか...
かなり悩ましいことが多い...それを許す空気までは感じられないから。

やっぱり、触れられないと親しみも湧かなくって...いいキャラになりにくいのかも...


あと、
ゲストの方が、「漢」と書いて「おばさん」と読みたいって話もしていた。


どうやら、「おばさん」の方が肝が据わっているからってことらしい。辞書で「漢」を引くと、「男の中の男」とあって、的を得ていて面白かった。

一般的な「男」の理想像に、肝が据わってる人ってのがあるけど、
本質的には、そんな男は少ない
から「漢」ってのがあるように思う。

そんな風に考えてみると、
男女って、自分に対する意識の違い(主観と客観の度合いの違い?)が結構あるなぁ...と、

まぁ、その違いが面白いんだけれど...

ただ、ときにそれが悩ましいこともあって、困ることもありますが...orz