考える虫のつぶやき

こうやって生きたらいいのに を探して、物の見方、考え方について、あれこれと思うままに書いています。なぜか夜中ばかりの投稿ですが…

勝ち負けをつけない、フレーフレー自分的な運動会...逆に、将来の争いの種...にならないかなぁ?

都内の一部の小学校で...とありましたが、運動会で紅組、白組を廃止して、勝ち負けをつけない運動会になっているんだそうです...orz、さらに、「フレーフレー自分」で去年の自分に勝つというテーマ設定らしい...orz、そんなニュースを見かけました^^;

小学校の運動会で「紅組・白組を廃止」の動き “勝ち負けをつけない”方針で、徒競走も「去年の自分に勝つ」 応援は「フレー! フレー! 自分」に|NEWSポストセブン

記事を読むと、コロナ禍をきっかけにそういう流れが進んだっぽいことと、文科省が運動会の競争性の廃止を推し進めている訳ではない とはありました。そんなものが推し進められてなくてよかった^^

組に分かれて、自分たちの組が勝つ...そのためには、みんなで力を合わせて頑張る...必要があります^^。共通の目的で、みんなで力を合わせる中で、助け合いや思いやり、協調性、コミュニケーション力等々...つまり、周りの人との面と向かった関わり方を体験し、学ぶ...組に分かれて勝ち負けを競うからこそなんだと...^^

それなら、運動会の勝ち負けじゃなくても...そういう意見も言われそうですが ...(^^;)

「勝ち負けを競う」にはゲーム性があります^^、人は本能的にゲーム好きな生き物...のはずなので、その本能的な面を働せれば強制をしなくても一生懸命になる...結果的に、より効果的に人との直接的な関わり方を学ぶ...間違いなく...(^^)

最近の教育に関して常々心配に思うのは、これに限らず...、

本能的な面を抑えてしまう(押さえ込む)やり方を取っているってことです(^_^;)。「本能的」だと「理性的じゃない」っぽく思われがちですが...

「本能」と「理性」は両輪...つまり、
本能を動力にして理性を高め、その理性を使って、本能をより良く生きる(共生や不戦など)活動内でしっかり満足させる...その循環で成長する...これは他の動物にはない人間だけが持っている可能性だったりします...(^^)、なので...

本能を抑制しちゃうと、人と共生するのに欠かせない理性を効果的に高められない...

そう思っているのですが...^^;

そんなこんなで、
勝ち負けのある運動会は、これまで通りで大丈夫だと思うし続けて欲しい

あと...、
勝ち負けが着くことで、優劣がつく...それが心配ってことなのかも...ですが、大切なのは...

その勝負が着いたら、勝ち負けに関係なく、「お互いの頑張りを称え合う」、それで運動会を締める...なのかなぁ...と^^、「フレーフレー自分」ではなく(^^;)

じゃないと、オリンピックやあらゆるスポーツ競技もダメになっちゃう...orz

そして...、
「フレーフレー自分」...これはやってはいけない...ほぼ間違いなく(^^;。

学校での活動は、ざっくり...勉強系と運動系の2つに分けられて
勉強は最終的にはみんな進路が違っていて人それぞれ、一方...、
運動(スポーツ)は個人競技でなければ共通のルールがあってその中で協力して...、なので...

勉強については、まだフレーフレー自分もありかな...とは思うのですが、運動(会)については、フレーフレー自分はおかしなことになってしまう...気がします...^^; 特に...、
チーム競技は、仲間との意思疎通や動きを合わせる連携が重要で、自分の上達も大切ですが...それよりも、仲間を励ますことの方が遙かに大切だったりします^^

だから...運動会では、「フレーフレー自分」は無しかなぁ...と。

あと...、
「フレーフレー自分」は、今よく言われる自己肯定感を下げてしまう可能性って大きい んじゃないのかな...とも思っています...(^^;
そう考えると、将来の争いの種...とも言えなくもなさそう...

戦後からなのか、バブル期あたりなのか...遅くとも僕らが学生のころ(バブル末期)には、「自分」への意識付けが色んな形でなされてきた...かな?、そして今...、
色んなところでごたごたが起きていて、その「自分的」弊害が出てきているんじゃない!?、そんな気がしています(^^;)