考える虫のつぶやき

こうやって生きたらいいのに を探して、物の見方、考え方について、あれこれと思うままに書いています。なぜか夜中ばかりの投稿ですが…

考えさせる問題よりも、簡単でもいつも考える習慣づくりの方が大切...だと思う

今、日本は国際的な競争力の低下が危惧されていて、これは残念ながら事実なんだろうと思っています。ネットでもそういうニュースや話題をよく目にします...(^^;)。

我が家でも、上の子は大学に進学しましたが、下の子はまだ中学生、もう暫くは勉強しなくちゃいけません^^。今は夏休みですが、ちゃんと宿題が出されていて、その量も結構あるなぁ...って感じです(^^;)。国の方針で、ちゃんと勉強させるぞぉ〜って意図がハッキリしてる気がします。
僕が中学生のときは、記憶が曖昧で覚えてないのですが...宿題なんてあっただろうか?...って感じです。

下の子が小学生のときも、ときどき宿題やってるのを見ることがあって、パラパラと教科書をめくると、驚くのはその情報量...なんと立派で多いことやら^^...そして、

もう一つ驚くのは、かなり考えさせようとする構成になっている(特に算数)...ってことです。

パッと読んだときに、「いったい何を言ってるんだろう...?」と思ってしまう小難しい内容が結構あって、考えさせたい気持ちは分かるけど...って印象です(^^;)。

おそらく、
結構な子どもたちがあまりしっくりしないまま...その時期を過ぎてしまってる...そんな気がします。結果として、その理解の曖昧さがずっと尾を引いてしまう...んじゃなかろうか...と

ときどき、学力低下に関して、分数の計算ができない大学生...みたいな話題で盛り上がってしまうことがありますが、これも...
小さな頃の理解の曖昧さを引きずっているんだと思っています。

そして、
学力の問題でよく言われるのは、「思考力」や「考える力」の弱さで、今の子どもたちの教育内容は、これがかなり意識されたもの...なんだろうなぁ...と。

でも、
僕が 若い人たちに感じる「考える力の弱さ」は、ちょっと違っていて...

基本となる「考え方」を持てないままっぽい...ってことです。

例えば単純に...
割り算だったら、実用的(数学的ではなく)には、1人分はいくらかってことで、それが人数じゃないときは、1秒で、1mで、1kgだったり...とにかく、「1」当たりいくらかになる...という感覚が大切 だと思うけれど、それが希薄...な気がする...

それが希薄だと困るのが分数で、

分数は、これまた実用的に捉えるべき感覚は...
分子を分母で割る...つまり、割り算を表しているという感覚が大切 で、その感覚をしっかり掴んで、割り算を分数で表す...習慣が身につくと、随分と楽になるんじゃないのかなぁ...と、そして、もう一つ分数で大切な感覚は...

分数は、分母「1」当たりいくらか...を表している というものです。

これが、いくつかの単位にも関係していて、それと一緒に、その感覚を掴むといいのになぁ...と思っています。その代表例が、速度「km/h(時間)」とか、密度「kg/m3」で、単位が分数で表されています。例えば、

速度のkm/hは、1時間(h)当たりに進むキョリ(km)になっていて、例えば 10km/hなら、1時間に10 km進む...という速さを意味しています。大切なのは、「1時間」当たりに進むキョリが分かるものになっている...ということで、それが分かれば、例えば、
5時間かかるのなら、5倍するだけで全部のキョリ(50 km)が分かって便利に使えるよ...ってことになります。

密度のkg/m3だと、1m3の大きさ(の容器)当たりの重さ(kg) になっていて、例えば、水の密度は1000 kg/m3ですが、1m3の容器に水を入れると1000 kgの重さになる...他の例で、鉄だと、密度は7870 kg/m3で、同じように、1m3の容器に鉄を入れると7870 kgの重さになる...密度の便利なところは、どちらも1m3の同じ容器に入れているので、重さの比べることができて、鉄の方が水より重いことも密度を比べればすぐに分かります。
そして、速度のときと同じように、例えば、
容器の大きさが 0.5 m3だったら、それに入れた水の重さは、密度(1m3の場合の重さ)を 0.5 倍するだけで容器全体の重さ(500kg)が分かって便利だよね...ってなります。

「考える力」って、そういった単純なことでいいので、それをいつも考え(意識し)ながら式に表す...それを続けていく...それだけでもかなり身に付いていくんじゃないかと思っています。

似たような話で、
論理的思考が...ってよく言われますが、その論理的思考に大切なのは、一つ一つを積み重ねて考えていけることだと思っているのですが、今言われている論理的思考の弱さは、その積み重ねる「一つ」が曖昧で上手く使えていない...ってことなんじゃないのかなぁ...と

「単純なことでもいつも意味を意識して考える...」

それを続けて、頭に定着させる(自分にしっくり来るようにする)
しっくりくれば、その道具は自然と使うようになる...結果として、論理的思考が作られていく...んじゃないのかなぁ...と

今、足りないのは、考える力じゃなくて、曖昧なままの考える力の要素(道具)が多いこと...だと思っています。使えない道具だと、大したモノは作れないので...(^^;)

頭をひねって複雑に考えさせる...じゃなくて、単純だけど考えるを習慣付ける...

その方が、取り残される子どもも少なくていいんじゃないかと...
(賢い子どもは、それ以上をちゃんとやるはずで心配ないし...)

そんなことを、ここ数日、子どもが宿題をするのを見ながら、ぼんやりと考えて過ごしてました^^。その宿題も、あともう少し...頑張れ

 

ちょっと話が違いますが、割り算と分数の話のついでに...

学生時代にみたジブリ作品の「おもひでぽろぽろ...

その話の中に、主人公の女の子が宿題で分数の割り算が分からない...って話がでてきます。

2/3÷1/4(3分の2個のリンゴを1/4で割る)で、女の子は1/6と答えてしまってお姉さんに、1/4をひっくり返して掛ければいいと言われてしまいますが、そのひっくり返すがしっくりこない...ってシーンです。ネットで調べてみると、それについていろいろ書かれていて面白いです(^^)

あまり参考にはならないと思いますが、自分なりに考えてみた説明です...

割り算なので、「1人」だとリンゴは何個? ということになります。

今、全部で2/3個のリンゴがあって、それを 1/4人(人の絵を描けば、地面から膝くらいまで分(1/4の高さ))が持っていることになります。なので、
割り算の考え方にならって、1/4人で持ってる2/3個のリンゴを1人分にするには4倍にする必要があります。つまり、2/3×4 になって、ひっくり返して掛けるという形になります。

割る数が1/4だと説明が簡単なので、割る数を2/5人にしてみます...つまり、

2/3÷2/5 の計算です。

2/5人(人の絵を描くと、地面から2/5の高さ)が、2/3個のリンゴを持っています
割り算なので1人分のリンゴを求めたいので、その進め方として...まず、
1/5人分のリンゴの数を求めて、そのあとに5倍すれば1人分のリンゴの数が計算できます。つまり...

2/5人で2/3個のリンゴの1/5人分なので半分にする、2/3÷2個それを1人分にするので5倍にする...
2/3÷2×5 = 2/3×5÷2 = 2/3×5/2 です。当たり前ですが、ひっくり返して掛ける形になります。

絵に描いてみると、こんな感じです。

分数の割り算