考える虫のつぶやき

こうやって生きたらいいのに を探して、物の見方、考え方について、あれこれと思うままに書いています。なぜか夜中ばかりの投稿ですが…

書き言葉>話し言葉…コロナで高まった「文章力の必要性」

明けましておめでとうございます…
というより、
明けてしまっておめでとうございました…かなぁ…って感じですが (^^;

これは、昨年末の
ある学生との話です。ほんの一部ですが…。
なかなか話しがいのある学生で、年齢差すら感じなくて、面白かったです。

その面白かった話のテーマは、
「言葉」

彼が、ボソッと口にしたのは、

「普通にみんなが、ちゃんと文章を書く力があるわけじゃなかった…」

でした。

それを、コロナ禍になって はっきり感じるようになったんだそうです。
「自分もそうかもしれませんが…」と前置きしつつ。

面白そうな話だったので、しばらく、それについて「うんうん、ふむふむ…」と話し込んでしまいました。

彼は学生なので当然なんですが、主に授業を通しての話で…

これまでの
「対面授業」だと、
みんながその場にいて、
分からなかったり、聞き逃したり…
そんなことがあっても、
その場で、友だちに聞いたり、先生に質問したり…

要は、
話し言葉で解決できる。

そして、
その話し言葉でやり取りしつつ、最終的にレポートなんかの文章を作ることもできてた…

でも、コロナ禍になって、
「遠隔授業」になると、まず、
となりに誰かがいる状況がない…orz

そのせいで、
分からないと思った、その瞬間、
聞き逃した、その瞬間に、
「ちょっ、ちょっと、今、なんて?」みたいに、聞くことすらできない。

で、タイミングを逃してしまう。

つまり、
隣の友達に「ちょっ、ちょっと…」なん聞くことが、普段、
どれだけ無意識に、当たり前にやっていて、しかも、どれだけ重要だったのか…

今まで、それに頼ってやってきた学生にとって、この授業形態の変化って、かなり致命的になる…!?。

そのことに、このときになって、はっきり、なるほど…となりました…orz

これまで、何となく遠隔だと慣れずに困る人もいるだろうとは思ってましたが…はっきり「こうだから」ってのはありませんでした…orz

授業なんかで使う 遠隔ツールには、チャット機能もあって、
分からなければ「チャットで」と促したりしてたけれど、
考えてみれば、
「リアルタイムに特定の誰かだけに、コソっと聞くなんて、困った その瞬間にはムリ!」…確かに。

たとえ、チャットで聞くとしても、それって、
短いとはいえ「文章にする」ことなので、このときも、ササっと、的確な内容で言葉にする能力が必要。

そして、
もう1つ、遠隔が主流になって多くなったのが、レポート課題

これは定期試験ができなくなったりしたせいですが、とにかく、

文章を書く機会が圧倒的に増えた…orz

そうじゃなくても、コロナ以前から、
何かと「ちゃんと講義をやってます」的な理由で課されるレポートが増えつつあって、
個人的には、かなり問題だと感じていたのに…(-_-)、
コロナ禍でさらに拍車がかかってしまった感が…

そんなこんなで、彼の話では、
コロナ禍になって
他の人の文章を見る機会が増えて…
つまり、
文章をやり取りする機会が増えて…、
思ってたより、
ちゃんと文章を書く…って難しかったし、書けてる人も少なかったんだ…

それを強く感じたみたいです。


さらに、
その話で、思い出したのが、

話し言葉と、書き言葉の違いです。

話し言葉は、時間に直結していて、
書き言葉には、時間の縛りが弱い」

話し言葉って、
発したその時の言葉が現在 で、
次の言葉を発した瞬間、
前の言葉は、過去になっちゃう

そして、
時間とともにぼんやりしてくる気がします。

一方で、
「書き言葉…文章」は、
先に発した言葉も、
後に発した言葉も、
同時に、その文章中にちゃんと存在
してて、視界に同時に入ってくる。
ある意味、
時間の差はかき消されて、時間が圧縮されてる感じ…、つまり、

「時間の因子が取り除かれた言葉」

と言えるかもしれない…

そのせいで、
「書かれた文章」だと、
先に発せられたはずの言葉も
ぼやけずに、その後に続く言葉とともに、視界内にあって、
後に発せられた言葉に、印象強く関与しようとする。
(そんな気がするだけかもしれませんが…(^^;)

そうなると…

もし、
先に発せられ言葉が、適切な内容になってないと、
後の言葉との対応関係がしっくりしなくて、意味が分からなかったり、はっきりしなかったり
なっちゃう。
(後の言葉が変で、逆の場合も)

つまり、
前後の関係がおかしい状態が、記憶と違ってぼんやりしていくことがなく、いつまでも紙面(画面)上に実体としてあり続けるので、かえって それが邪魔をして、頭の中で都合よく補完することが難しくなるのかなぁ…と。

逆に、
話し言葉みたいに、
言葉が時間とともに、ぼんやりしていけば、僕らの頭は相手が発した内容を一生懸命 理解しようとして、
ぼんやりした部分を、そのぼんやりの分、自由度が増えて、都合よく補完しながら受け取れてしまう…(^^;…たぶん

これまで、あまり意識していなかったけれど、
「対面の会話」って、
時間とともにおぼろげになる話の曖昧さを、補完するのが前提で進められるもので、
正しいやり取りを成立させるために、双方で何度か言葉のキャッチボールをするようになってたんだ…と、
初めて気づかされた気がします。

で、
コロナ禍の遠隔授業では、それができなくなって、できても、
友達同士のやり取りはチャットぐらいしかなく、結局は、短文ながらも書かれた文にしながらってことに…
とにかく、
文章にしなくちゃいけない…orz

これまで、散々コミュニケーション力が大切~って流れだったのに…


長々と書いてしまったけれど、

コロナ禍によって、
「書き言葉」が重要になって、「文章力」の必要性が、グッと上がってしまった
ように感じます。

僕自身も、これまでのやり方を見直してみる価値がありそうです。そして何をしなくちゃいけないか?…
今もぐるぐる考えながら、これを書いてます。

でも、今回はえらく時間は掛かるし、上手く書けてる気がしない…orz、読みづらくて申し訳ないです(-_-;)