今、読んでいる「考えるヒント」小林秀雄 著...なかなか読み進まない...orz
もともと読むのが遅い上に、やや難解な語りになっているところがちょくちょく。
耳が痛いことが書いてあったので、健忘メモです。
「良心」というエッセイの中に、
「現代の合理主義的風潮に乗じて、物を考える人々の考え方を観察していると、どうやら、
能率的に考える事が、合理的に考える事だと思い違いしているように思われるからだ。
当人は考えている積もりだか、実は考える手間を省いている」
とあった。残念なことに、
今は、もっと酷くなって、
合理的に考える(ことができる)人はかなり少なくなっている気がする。
そして、良心について、
「だから、私達は皆ひそかにひとり悩むのだ。それも、悩むとは、自分を審くものは自分だという厄介な意識そのものだからだ。公然と悩む事の出来る者は、偽善者だけであろう。
良心の持つ内的な一種の感受性を、孟子は、「心の管」と呼んだ。
これが、生きるという根底的な理由と結ばれているなら、これを悪と考えるわけには行かないので、彼は「性善」の考えに達したのである。」
自分で合理的に考えなくなると、良心もなくなり、世の中、「性善」が成り立たなくなる。
今が正にそうなっているように感じる。
何事も「性悪」を基準に決めちゃうから、その決まったルールやらなんやらは、とても窮屈で堪らない...orz
そうなると、
いつも良心を持って、考えるようにしなくちゃって思う。