考える虫のつぶやき

こうやって生きたらいいのに を探して、物の見方、考え方について、あれこれと思うままに書いています。なぜか夜中ばかりの投稿ですが…

何が正しいかを考える力…正しいものだけ教えてもダメ...?

先日、ラジオ(NHK マイあさ!)を聞いていると、山崎マリさんのアンコールを流してた。

テーマは、「昭和のいいところ」で、面白かった。

当時はメディアでも、学校に対しても、批判的精神が結構あって、
何が正しいかは、みんな一人一人考えてた
という話だった。

確かにそうかもしれない。

それが正しそうか、そうじゃないかは、自分で考えて判断する

でも、最近は
きつい言い方かもしれないけど、
隣を見て判断する」、そう、自分であまり考えない。

確かに、そんな風になっている...orz


いつからこんな風になったかなぁ?...と思い返してみると...

ちょうど僕らが中高生のとき、
#受験戦争 なんて言葉が踊っていて、地方にまで大手予備校が進出したり、それなりに話題になった。

そんなんだったから、塾や予備校なんかに通ってる友達なんかを見てると、
いろいろ受験対策と称して、点を取ることを目的とした学習をやってたなぁ…

結局のところ、
ありとあらゆるものを、形式化して、
「知ってる」って状態にする、つまり、
知識化してた
んだと思う。

みんながみんな とは言わないけど、かなり多かったんじゃないかなぁ...

その後も、それはどんどん洗練されていって...


僕が社会人になってしばらくして、大学の恩師から聞いた愚痴の一つが、

「何を見たらいいですか?」って
聞いてくる学生が多い
ということだった。4年生なのに...

つまり、
答えがあるはずの前提で尋ねてくるらしい。

「まずは、考える」
ってならない
んだと思う。

確かに、職場なんかだと、
「まずは見本を探す」は、日々の仕事をこなすには、効率的だけど...
それじゃ、新しい問題に出くわした時に、何の対処もできない。

少し話は逸れたけど、

とにかく、あの時期、急速に、
「考えない素地」が作られていった
気がする...orz

最近は、それに拍車をかけるように、
これは、ラジオでも同じように話してたけど、

"正しい"から外れるものは伝えちゃいけない」風潮
それ以外、例えば、昔で言えば、
深夜のエロい 番組とか、
ちょっと癖のある人を弄ったコント がある番組とか...
そういったちょっとグレーなものが排除される風潮になっていて...

一昔前までは、そういう番組もやっていた。ただ、どんな時間でもやっていた訳じゃなく、

8時から、とか、11時から、とか...

子ども心に、
「この時間からは、あんまり見ちゃいけないんだなぁ...」「子どもの時間じゃないんだなぁ...」「でも、見てみたいなぁ」
て思っていたのを思い出します。

良いか悪いか分からない
グレーさ、つまり、混沌さが排除されてしまったせいで、
「これってまずそう」とか、
「こんなんいいんかな?」とか...

「自分なりの正しさを考える機会」が、どんどん少なくなってしまったなぁ...と

しかも、
その「正しいと思しき情報」は、結構細かく、結構多い。そして、ほとんどが自分で考える余地すらない...辛い...orz


そんなこんなの結果だと思うけれど、

「何が正しいか」は
考えるんじゃなくて、
探してくる...ネットとか、誰かの意見とか...そんな風になっている気がする。

そして、
この怖さは、
「みんなが右へ倣えになっちゃう」
こと、
「自分で考えてないんで、何かと人のせいにしてしまえる」
ところなんじゃないかと...


こうやって、
あれやこれやと考えていくと、

今のコロナ禍って、それを直球で伝えてきているように感じる。

もっと、君ら考えなきゃ」って、

それぞれが、何をすればいいのか、何ならできるのか?

ただ、
何かが決まって、上から降ってくるのをまって、それが来ても来なくても、誰かが文句を言う。きりがない...

今、こんなグダグダなんだから、正解はないと思って、

自分で、正しいと思うことを考えて、日々の生活を送る

考え続けると、ある時点から、次々とアイデアが浮かんでくると思うから...

そうなると結構楽しくやれるかも...!?