今日、ノーベル物理学賞受賞の小柴先生逝去のニュースをラジオでやっていた。
パーソナリティーの話では、ノーベル賞受賞についても、
「周りのスタッフやそれまでの研究者のお陰で」と
非常に謙虚だったことが印象的で、
とても素敵な方だった とも...
他のニュースでも、
小柴先生の後進には、同じくノーベル賞受賞の梶田先生をはじめ、たくさんの優秀な方々が排出されていることも、伝えられてました。
小柴先生は90歳を超えられ、戦前生まれですが、
僕も縁があって、同じように戦前生まれの先生と仕事をする機会がありました。
その方も当時、普通なら、とっくに定年だったのですが...
その印象は、一言で言うと、
「パワフル」、そして、とにかく「前向き」で、
「道は、ガシガシ掻き分けて、自分で進んで行く」
感じでした。
それだけでも、十分すごいのですが、
さらに、驚くのは、
「面倒見の良さ」です。
色んな若い人たちを、どんどん巻き込んで、
「機会を作って、人を繋ぎ、活躍させていきます」
どこかで、そういう方針があるわけでもないのに...、
なので、結構、
そういうことを自腹でやっていたりもして、
「どうして、そんなことができるんだろう?」と、よく不思議に思ったものです。
さらに、
引き込んだ若い人で、「今はまだ、それをやらせるの無理なんじゃあ...?」と思えても、それをやらせて、その代わり、
「しっかり面倒を見て」
いました。
少し背伸びして、やらせてもらった若手も、それを乗り越えると、急に頼もしく変わるのが、とても印象に残っています。
とにかく、懐が深く、大きな先生、という表現が、ピッタリでした。
その年配の方と話をしたときに、強く感じたのは、
「今、関係してることを、『次にどう繋げていくか?』を、常に意識していて、『そのために、どう行動するか?』を考えている」
ということです。そして、
そこには、
「自分がこうしたいから...」
というのは、あまり感じません。
つまり、
「自分」ではなく、「関係する分野や、次に続く人たち」を考え、それを
「次に繋げる原動力」にしているわけです。そして、
そう考えることが当然で、そこには、何の疑う余地も無い という感じでした。
こういった「個(自己)」じゃなく、「全体」を考える 能力は、残念ながら今は、かなり弱くなっていて、
それが、至るところで、歪みとなって現れ、悪さをしているように見えます。
特に、「自己」を強く意識してしまっている人が多くなってる気がします。
それがいつの世代からって考えると、
戦後生まれ、つまり、団塊の世代ぐらいからかなぁ...と、そして、それ以降は益々、といった感じでしょうか。
団塊の世代の方とも、仕事でご一緒したことがありますが、
やはり大分違っていて、残念ですが、僕らに近い、小つぶな感じがしました。
最後になるけれど、
戦後の教育では、個人主義が良しとされてきましたが、
戦前の小柴先生や、その他の活躍されている方々をみて、そして、今の世の中の現状を考えると、
個人主義とは違う、何か大切にすべきものが、あるのではないか?
と思ってしまう、今日この頃です。
最後に、僕自身、
懐の大きな人にならなきゃ...とは思っているんだけど、
ケチな自分がいて、なかなかそうはさせてくれません...orz