考える虫のつぶやき

こうやって生きたらいいのに を探して、物の見方、考え方について、あれこれと思うままに書いています。なぜか夜中ばかりの投稿ですが…

国際化だから日本語、なので、あえて4月入学のままでも...

さて、新型コロナのせいで、休校が続き、どうせならという感じで、
9月入学への制度移行の話が急に進みかけました。が、

とりあえずは、先日、見送られることが決まりました。個人的には良かったと思っています。

「国際化に対応する」、「国際競争力をの向上」のために、欧米諸国やそれにならう国の多くが9月始まりだから、それに合わせれば...という話です。

この「9月始まり」と同じようにして、すでに進んでいるのが、「小学校での英語必修化」です。

英語の早期教育については悪いとは思いませんが、『これだけは犠牲にしないで』と思うのは、『日本語(国語)』です。
(当の私は、国語が苦手だったので、あまり言えた立場ではないですが...)

さて、その理由は、

1つは、
「国際化への対応で大事なこと」は、
「同等のことができる」ではなくて、「独自性・独創性を持っている」こと
だと思うからです。

国際化が進むと、海外の人たちと渡り合うのですが、「同じ程度のことができる」なら近くの人でよく、「この人しかできない(独自性)」となれば必要とされます。

2つ目が、
「日本語で考えること」が、それだけで、
「外国語(英語など)で考えるのとは、違う見方をしている」
と思えるからです。

「独自性・独創性」を出そうとすれば、考え方、つまり、「考える際の経路(アプローチ)」 の違いがかなり重要で、考え方には言語が大きく関係しているんだと思っています。
言語構造が特異な日本語は、きっと考え方に大きく影響していて、日本語で考えるだけで、独特の見方・考え方をしてしまっているように思います。

その「日本語」で、よく言われるのが、「結論が最後でわかりにくい」ということですが、ただ単に日本語は、

時系列に起こっていることを、その順序のまま言葉の連なりにしている言語

だということです。それが、海外の人にとっては、論理的でなく分かり難いのです。

でも、日本人は、文の構成が論理的ではなくても理解できます。なぜなんだろうかと考えてみると、
どうやら僕ら日本人の多くは

話しながら(聞きながら)、その情景を頭の中でリアルタイムに時系列のイメージ(動画)にできる

つまり、一度イメージ化しているんで、いつでも走馬燈のような再生ができているんじゃなかろうかと。これは論理的な構造の英語では、おそらくできない(する必要がない)のでは...、

日本語を使う以上、そうしてしまうわけですが、使うことで、そのイメージ力が日々鍛えられています。

そう考えると、
日本人が、「漫画やアニメーション、外国のものを見ただけで、その仕組みが分かる」など、独特の能力を持っていることも納得できる気がします。

欧米人のように、論理的に積み重ねることは苦手かもしれません。だけど、
日本人は積み重ねられたものを全体的に捉えてことが出来て、上手く仕上げることが得意というのなら、
実は棲み分けはできていて、国際化が進んでも生き残れるんじゃないのかなぁと...、なので、
「日本語を大切に使っていきたい」と、よく思います。


同じような理由で、

4月に始まりを感じる感覚を持っているだけでも、9月始まりの海外の人とは違う感覚を持つことイコール で、それが日本人の独特の感性を育んでいるのなら、
「あえてそのままの4月入学」
もあり じゃあなかろうか...


どうせ、英語翻訳はAIがやってくれるようになるだろうし、
海外では終身雇用は少なく、一斉入社みたいなものもなさそうだし...(違っていたらごめんなさい(^^;)


最後に、英語は嫌いではありません(得意ではないですが...)。
ときどき、英語で短い文章を書くことがあります。そんなときに、最近は英語圏の人がどういう風に考えるんだろう? と意識しています。そうすると、
気のせいか「結構、違うんじゃないかなぁ?」 と感じていて面白いです。


うーん、書くのに時間が... orz