考える虫のつぶやき

こうやって生きたらいいのに を探して、物の見方、考え方について、あれこれと思うままに書いています。なぜか夜中ばかりの投稿ですが…

コロナ禍でも海外に比べれば自由...

1月からコロナが騒がれはじめ、緊急事態宣言になりましたが、ようやく首都圏を除き解除されるまでになりました。やっぱりほっとします。

この間、特に宣言が出されるまでは、海外では次々とロックダウンが出される一方、国内では
「政府がなかなか厳しい措置を出さない」
と多くの不安の声と批判がありました。

確かに、少し不安は感じましたが、良い方に見れば、自粛要請だけで、「ある程度の自由」が許されました。
これは、他の国にはできない本当にすごいことだったんでは...とずっと思っています。

僕は縛られるのは嫌いなので、ほんとに良かった。
もし批判の声が強くて、さらに厳しくなったらと、ひやひやしてました。

まだ、当面は慎重な行動が必要ですが、少しは外に食べに行ったりできるのは、嬉しい限りです。
マックやケンタくんすら、店内ダメでしたから...


ここで少し、「自由」について、

個人的には、

【自由の大きさ = 獲得した能力の量】

だと思っていて、
「何でも思い通り」とか「何にも束縛されない」といった、都合のいい「自由」はあり得ないという考えです。
もしそれが個々人であり得たら、恐らくとなりの人のせいで辛いなぁ...きっと。

「相手へのわがままが許される」のは、「相手への配慮ができている(能力がある)」からのはず...たぶん。

あと、よく耳にする「職業選択の自由」なんてのも、ハッキリ言えば、ファンタジーです。
資格(獲得した能力)が必要な医者や弁護士、教師の例でも明白です。

なので、学生や若い人には、「自由が欲しいならいろいろ勉強しろ」と言ったり、
まだ将来に迷っている場合は、なおさら「目の前にあることを勉強しときなさい、選択肢が増えるから」といった話をすることがあります。

結局、
「勉強すること = 能力の獲得」
となって、さらに、
「勉強すること = 自由が増える」
と、一見、矛盾しているような、ちょっぴり残念な結果に帰結します。

要は「自由は恐ろしい」のです。


話は戻って、
コロナについては、日本人が長い間に身につけた衛生管理の生活習慣のお陰で、比較的自由が許されたんだと、つくづく感謝しています。

あと、少し頑張ろう!