考える虫のつぶやき

こうやって生きたらいいのに を探して、物の見方、考え方について、あれこれと思うままに書いています。なぜか夜中ばかりの投稿ですが…

大きな声を上げる力より、小さな声を聞く力...の育成が大切だったんじゃないのかな?

兵庫県知事の失職、立憲民主、自民党それぞれの代表の決定、世の中の根底にある問題が解決されたわけではないですが、表面的にモヤモヤさせられていたものがスッキリした感じです...それが良いのやら悪いのやら...(^_^;)

結果をみると、なんとなくバランスを求めた結果だった...そんな気がします^^

逆を言えば、今までは、何かを取り返す...かのような急進的な流れだったのかも...

ただ、この間にできてしまったその急進的な物事の流れ...的なものは、代表選なんかの経緯を見ててもなくなったわけではないので、これからどうなっていくんだろうか...?

そんな近々の話はさておいて...
特に政治の話で、当たり前のように話題になるのは、「みんなの意見を聞く、聞かない...」、当然、ワーワーとなるのは「民意を聞かない...」云々...(^^;)

それについて、ぼんやり考えていて、ふと浮かんだのは...

今って、色んな大きな声が、至るところで上がっていて、僕自身、ほとんどSNSなんかをしなくても、何らかの情報媒体を通して、そんな上がっている声の話が入ってきて、ちょっと辛いくなったり...orz

これって、別にニュースで見るような社会的な話題(SNSなんかも)に限らなくて、職場だったり子供らの学校だったり、ごく身近なところ、ありとあらゆるところで、似たようなことをがあって、見たり聞いたりして...本当に厄介だなぁ...って(^^;)

そして、大概はそれらは対立的な状態(もめ事とか)にあったりします...orz

つまり...ここ20年近くでしょうか...、世界に大きくものが言えない日本...的な流れがあって...、学校をはじめ、色んなところで、それなりの頻度で...

大きな声を上げることが、やたらと持て囃されてきた...気がします。そして...
小さな声を聞かなくなっちゃった...(^_^;)

今の世の中のゴタゴタの原因って、実はこれなんじゃないのかなぁ...?

声高に理路整然と意見を言うだけで、周りの声を聞けなくちゃ...コミュニケーションができない...コミュ症...ってことなのかも...

本来、大きな声を上げる力より先に、小さな声を聞く力を身につけるべき...で、この小さな声を聞く力がないのに、大きな声を上げる力だけ身につけちゃったから、今、とんでもないことになってる...のかもしれない?

普通に考えて、小さな声を聞いてくれたら、わざわざ声に出さなくても済む...はずだから...

逆に...、
小さな声を聞けない人が、大きな声を上げるのって、ただの自己主張...になっちゃうだけ...じゃないかなぁ...^^;、その結果が、パワハラなんかの○○ハラだったり、ブロックだったり...その先は、争い、紛争...、

そんな風なことが、ふと...頭に浮かんできました^^

とにかく、
この「小さな声を聞く」をどう育てるか...それが大事なのかなぁ...と、
幼稚園でも、小学校でも、みんなが一緒に何かをして(遊びでもなんでも...)そんな話す機会に、「意見を言う」より、「意見を聞く」を大切にした雰囲気づくり...それを大切にできたらなぁ...って思います^^

「話を聞いてもらえた」って経験は、子どもたちにとっても気持ちの良い経験で、逆に、「○○の話ばっかり」は・・・のはずだから...

これって...、
別に幼稚園や小学校に限らず、おうちで子どもと話すときも...、一方的に聞く、一方的に話す...じゃなくって、大人は子ども目線で、お互いに話を交わす(楽しく)...そんな普段の会話を大切にしてると、子どもも、ちゃんと話せるように、ちゃんと聞けるようになる...んじゃないかなぁ...、

やっぱり、一番大切なのは、一番身近な会話のはずだから^^