考える虫のつぶやき

こうやって生きたらいいのに を探して、物の見方、考え方について、あれこれと思うままに書いています。なぜか夜中ばかりの投稿ですが…

コロナ禍が終わって自由が減ってしまった...コロナ禍を振り返って...

5月8日には、コロナも5類感染症に移行でインフルエンザと同じ扱い に...そうじゃなくても、3月からマスク着用も自主判断、みんなの行動もほぼコロナ前に...

本来は、コロナ対応の行動制限もなくなって喜ばしい...んだと思いますが、コロナ禍で厄介だったのは、個人的には、コロナ発生当初のマスクくらい。なので、
そのマスクもそれなりの期間、着用し続けるとさすがに慣れてしまいました^^。もともと首回りが敏感で、帽子やヘルメットの首ひもはとてもゾワゾワしてとても着けてられなかったのですが、それでもほぼ気にならなくなって、自分自身、そうなれることにビックリでした(^^;)

あと、大変だったのは、職場のコロナ対応...どこでも同じかもですが、その場しのぎでやや過剰な対応が多かった...orz

そんな厄介さはありましたが、家での生活を考えると、コロナ禍の方が自由だった気がします。

基本的には、通勤や買い物なんかも自動車中心の生活なので、コロナ禍でみんなが自粛すると出かけている車も少なくて、まず、道路の渋滞をそれほど気にしなくていい。そして、街に出かけても人の混雑もほとんどない。

ある意味、何の気兼ねもなく自由に動けることが多かった 気がします。

我が家は...僕はの方が正しいかも、比較的、コロナ当初もその対応はゆるめで、人と接する状況でなければ、できるだけコロナ前と変わらない普通の生活を送るようにしてました。

普段の買い物も、あと、子どもが小学生なので、家にばかりいるよりはと、みんながかなり自粛していた時期も、一緒に自転車で出掛けたり、川遊びやブレイブボードの練習に行ったり...コロナ後半は行動制限も緩和されて映画館、水族館や遊園地など...そのときそのときで許される範囲で...出掛けるようにしてました。

当然、施設なんかでは、それなりに規制はありましたが、そのときに思ったのは、そんなコロナへの対応よりも、(コロナじゃない)普段の人が多くて、随所で並んだり待たされたりする不自由の方がよっぽど大変(^^;)、さらに連休なら、みんながドッと押し寄せるので、はじめから行くのを諦める...もう不自由の極みだったりします...orz

今思えば、コロナ禍で、政府からの自粛などの行動制限の要請がありましたが、自粛なのでその取り組みの程度は様々、周りに合わせるか、何かの支持に頼るか、自分で考えるか...

その中で、少しでも自由を確保したいと思えば、ちゃんと自分で考える...それが大切だったかなぁ...と、そのために当時、いろんなニュースを見聞きして、感染者数の推移や、マスクや人との距離など様々な感染対策効果など、常にコロナにアンテナを張り巡らせていた...今振り返ると、そうでした。大切だったのは、観察力 とも言えるかもしれない...

でも、
もう規制ほぼほぼ解除されちゃって、国内だけじゃなく、世界中の人たちが押し寄せるようになって、どこにも行けないじゃないのか...!?、

そんな不自由さに、渋滞の車の中で、子どもと途方に暮れていた今日でした(^^;)。